墓参り
Guadixでヒーコラヒーコラ登ったり下ったりしている時に、空からふわふわとタンポポの白い綿毛みたいなのが舞っていて、これは何だろうか?と思ったのが2年前。
今年もよくふわふわと舞っていて、改めて聞いてみたらポプラの綿毛だそうで、これで花粉症になる人もいるようだ。ふぅ~ん。
グラナダのマヌエルも何かの花粉症がひどく、タバコを吸い過ぎだよという感じの咳をしていた。聞けばスイスに戻るとなくなるも、また別な花粉症になるがそれは軽症とのこと。ふぅ~ん。
マヌエルと夜のサンタ・フェの路地を散歩している時に、どこか甘味のある変な臭いを嗅ぎ、「マヌエル、変な臭いしない?パイプか?」、「ケン、これはマリワナだよ。どこかで誰かがやってんじゃない」。マヌエル、経験者か?ふぅ~ん。
グラナダでのコンチの墓参りの次は、ここグァディックス(Guadix)で、花屋でお供えの花を買ってきた。
前回は良く分からないので、10ユーロ(1,650円)の花束ください、で作ってくれたのに、今回は新たなお店ルールができたのか、一束は15ユーロ(2,489円)です、と言われた。
霊園は、ルルデの家の近くにある。
また坂を登るのかぁ、など、老人が坂を登り下りする大変さを言っていたら、ルルデがケンのホテルから車で送り迎えしてあげるよ、と真剣に言い出した。自虐的ギャグとして言ったつもりなのだが、低い語学力ゆえにスペイン語で上手く表現できなかったのだろう。
グラナダの大きな霊園では1時間ぐらいラビリンスしてしまったおかげで、小振りなGuadixの霊園では迷うことはなかった。
墓に関連して一つ聞いたのは、どこに埋葬するかは、突然の死ではない限り、当人の意思によって決まり、最後に住んでいた場所・生まれた場所・希望する任意な場所など、それなりに選択の自由があるようだ。
故に日本で言う親族が集まっている「○×家の墓」というのは一般的にないようだ。同じ霊園内に点在しているのはある。また、一つの棺の墓標(蓋)には、親族と思われる数名の名前が記されているのもあるが、それが代々からの○×家の全員ではない。
他の墓の花を見れば、全然枯れていないのが多かったそれは造花だった。偽りの造花か、枯れずに咲いているようにみえる造花かでは、最近の日本の墓でも後者を時々見かけるようになった。
花のお供えの仕方が分からないのでルルデに頼み、その間、同唱十念を心で唱えた。
同じ町で生まれ育ち、そこで亡くなった兄への気持ちは5年(だったかな)経っても変わらず、涙ぐんでいたところもあった。この悲哀の強さを私は見習いたいと常々思っているのだが、自分の親の墓参りではカミさんに言われて初めて気付くところに自己撞着がある。
若くして亡くなった女友達のエヴァの墓参りへ行った。
 親切にもルルデとマノーロが車で連れていってくれた。場所は、Guadixから25kmぐらい離れた、ヴィジャヌエバ・デ・ラス・トーレス(Villanueva de las Torres)という小さな村にある。スペイン語って長いよね。
オリーブ畑が広がる大地の中の一本道を走る光景は、まさに北海道だ。
この村で生まれた家族がGuadixに移り住み、その時に出会ったのが1986年の10月。
そして新婚旅行でGranadaとGuadixに来たのだが、ついでだからとその家族に連れてゆかれ、いや、連れていってもらったのがこの村である。
親父の実家の白河の村ぐらいの規模で、村のばーちゃんからは「初めて日本人を見た」と言われカルチャーショックを受けた。そして希有な日本人を初めて見ようと幾人かの村人が集まってきて、私たち新婚夫婦はさながら動物園のパンダになった。
中央広場では青空市場が開かれていて、なんとパカパカと歩いている馬が売っていたのには、私とカミさんはびっくりした。また、宗教的慣習風なマタンサ(屠殺)も見ることができてカミさんは更にびっくりした。今でもこの村での見聞は、わが家での語りぐさになっている。何にしろ「初めて日本人を見た」はインパクトがありすぎだよ。
そんな新婚旅行での体験と、その後の彼女とのメールやSNSでのやり取りが続いていたことを、彼女の墓の前で同唱十念を唱えながら思い返していた。故人を偲ぶこれも正しい墓参りの作法の一つかと思った。決して自分の家の墓ではやらないけど。
グラナダの象徴的な山シエラネバタ(この時は雲がかかっていて見えない)を前にそびえ立つ大聖堂が一本道の先に見えた時、やっと戻ってきた的安堵感があった。
これらいろいろ世話をしてくれるルルデには感謝の念が堪えないが、いつもそれに甘えている。
彼女エヴァの作品の前に立っている彼女の写真は、迷作『MY COMPANY』に掲載してある。
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