「ホテル・パラシオ・オニャーテ」
グラナダから乗ったバスは、11時にグァディックス(Guadix)という町に着いた。
この時間じゃ、ホテルはチェックアウト後の部屋清掃で忙しくて入れてくれないだろうな、と思いながらもガラガラとスーツケースを引っ張って行った。スーツケースにはもう機材が入っていないので10キロもないだろう。帰りの飛行場で正確な重さが分かるけど、軽いスーツケースってなんて幸せなんだろうか。
グラナダのゴメレス坂やマヌエルの家の前の急坂から開放されたが、この町は半円形のなだらかな丘陵に囲まれていて、その低地にある大聖堂を中心に街が形成されている。
ホテルは、坂を少し登ったところにあり、最初に泊まったのは1991年で、以降Guadixに来る時にはこのホテルに泊まっている。今はオーナーの息子が継いで、ホテルをリニューアルし「ホテル・パラシオ・オニャーテ」と改称して経営している。スパとかサウナなども新設したので、ホテル格は以前の2つ星のホテル・レジデンシア(HR)から、4つ星のホテルとなった。
30年勤務の美人のベテラン受付嬢とは顔見知りなので、軽く挨拶をした後に普通に部屋のキーカードを渡された。この時期のホテルは空いてんのかなぁ。
2年前は中庭パティオに面した部屋だったが、今回は3階の道に面したテラス付き(私の喫煙スペース)の一等地的な部屋だった。それが改装前にはいつも利用していた部屋であったのは、テラスから見える風景が同じだったからだ。
思わず懐かしく室内あちこちを激写していたら、前泊客のゴミがまとめて床の上に置いてあり、テーブルの上にチップの小銭が置いてあることに気付いた(最初に気付けよ)。通常、清掃中はドアは開いているのだが、チップがあったのでドアを閉めておいたのかもしれない。チェックインの時間前に入れるのだから、こういう事があっても嬉しいもんだ。
慌てて美人受付嬢に連絡したら、すぐに2人の若くて綺麗な清掃レディがやって来たので、すぐさま私はチップを指さして「このチップは絶対触っていないからね。分かった?信じてね。」と主張し、彼女らの理解を得た。
もともとスペインのホテルには日本のようなアメニティサービスはなく、自分で用意してね!仕様だ。タオルと液体石鹸ぐらいしかない。
さすがにゴミ箱が部屋にないのが気になり、フロントで聞いてみたら、トイレにあるのを使ってくださいね、と言われた。日本では良くある箱形ティッシュはあるのだろうか、とダメモトで聞いてみたら、果たして、そんのはないよ、と。友人宅に行って、箱のティッシュをもらってきた。
グァディックスに着いてまず訪れるところは、旧友のルルデ(以前飼っていた猫ルルデは彼女の名前を拝借)の家で、彼女の兄ホァキンの墓参りを兼ねている。お供えの花を買うのを忘れたので墓参りは翌日になった。
低地にあるホテルから坂を上ったり下ったりして徒歩30分ぐらいだが、ホテル前の坂だけは、グラナダのゴメレス坂を想起させる勾配がある。アンダルシアって坂ばっか、と思ってしまう。
正餐となるスペインの昼食はだいたい14時~15時になり、この日は、私とルルデと2人だけだったので、昼食は魚介類のスープと生野菜サラダ、スペイン風卵焼きだった。翌日は、日本でもお馴染の豚の焼き肉と目玉焼き、サラダとフライドポテト。
アンダルシアの料理は、日本人が見て想像する味と同じなのでオリーブ油が嫌いじゃなければ、どれも美味い。唯一アンティチョークだけは苦手で、味よりも見た目がどうもねぇ。ただ偏食一種だから良いでしょ。
ルルデのお友達ドラがやってきて、一緒にパシャリ。
一緒に夕食をとそのドラに誘われ、改めて20時頃、ルルデの家の裏にある彼女宅に伺った。
先週マヌエルのお隣さんに呼ばれたのと同様に、スペインの夕食は、軽い軽食と飲み物で団らんするようで、昼食がレストランの皿料理なら夕食はタパ(突き出し)と言えるかも。この時は、生ハムイベリコやアサリ煮、タコ、サラミ、チーズなどがふるまわれた。
飲み物は、マルティーニと言っていたが赤ワイン色のようなベルモットとコーラーを混ぜたもので、カクテルみたかった。生ハムのイベリコのセボが普通に出できた。
若い時は演劇の役者をやっていたという陽気なドラは話が面白いのだが、佳境に入ってくると、ルルデ同様にアンダルシアなまりが溢れ出てきて、「ごめん、外国人向けにもう一回言ってくれない」となる。
夕食が始まったのが20時だが太陽の位置は45度。22時ぐらいに終わったのだが空はやっと濃紺になっていた。ここでやっと「夜になる」の anochecer が使えるが、それでは、「日が暮れる・夕暮れになる」の atardecer は、どの辺で使うのだろうか、といつも考えてしまう。
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