2003年の石巻

2003年10月の石巻の写真。
 なんだかんだ季節労働者風に15年ぐらい仕事で通っていて、時として朝イチから仕事だと、辛いことに新幹線始発に乗れば間に合ってしまう。現場9時半ぐらい。
 そんな時、前日に仕事がなければ前乗りして写真を撮っていたりした。仕事で通う町もプライベートとして町歩きをしてみるとなかなか新鮮だった。
 仕事が終わった夜は良く飲みに行っていた「まんまる亭」という夫婦でやっているカウンターだけの居酒屋があり、ちょうど市内の旧北上川の中洲(中瀬)を6×9+三脚を担いで歩いていたら、そのマスターに声をかけられた。
 中洲に家があるらしく店が開くまで飲むのだけど一緒にどお?外はまだ明るく写真を撮りたかったので、お断りをしマスターの写真を撮って別れた。その夜、店に行き、写真を送るからと住所を聞いてから年賀状のやり取りが今でも続いている。

 石巻の中洲は大きくて、そのマスターの家並みに限らず映画館や教会、そして石ノ森章太郎の漫画館、その先端にはドッグがあったりもする。
 後年、例の地震での津波で中洲が埋もれてしまい、おおおっ、と大ショック。何よりも被災地の友人や知人の安否が気になった。って、友達少ないからマスターぐらいしか知らなかった。
 初めての津波大災害にもかかわらず、すぐさま素晴らしき避難者確認サイトができ、そこからマスターとママさんの安否が確認でき一安心した。
 後日、マスターからお礼の電話があり、状況を聞いたら石巻市民は普段から対津浪の防災訓練をしていたらしく、地震後すぐさまみんなは近くの小山の避難場所等へ移動したそうだ。最初は体育館かどこかにいて後日、復興住宅に移住し今でもその住所。って、長いよね。

 震災の翌年、陣中見舞いで行こうかと思えば、復興需要でホテルは連日満室で行かれず、そのうち落ち着いたら行こうかと数年過ぎてしまって気付けば、昨年からのコロナで行かれず、うーむ。
 何回か写真を撮ったので20点ぐらいのミニ写真展でもやろうかなと思っていたら、津波震災があった。その後にやると、どこかしら震災に繋がってしまうのでそのまま放置している。毎度の私的などーでも良い写真だからそのままお蔵入りもありだ。

長い元日

 元日の話だけど、昼過ぎから年越し大掃除を始め、その時に猫パコを見かけた以降、どこを探してもおらず消えてしまった。我が家はホグワーツの学校か、隠し扉とかあるのだろうか。
 暗くなっても見当たらず家中大騒ぎ。もしかして外?と思って玄関を開けたら車の下にうずくまって鳴いていた。外の郵便ポストを見るために扉を開けたその瞬間を見計らって飛び出したのだろう、音も立てずに忍者のように。正月早々初めてのいわゆる「脱走」だ。
 初めての冒険で疲れたのだろう、カリカリを喰ったらそのまま定位置にてグガーッと爆睡、突っついても起きやしない。

 リビングの掃除をしていたらカミさんのデジタルが引き出しの奥からゴロゴロと出てきた。いつのだよ?というものばかり。こんなのどうやって処分するのだろうか。今はバッテリーなど分別がうるさい。
 私の住む市町村では、小型家電ボックスなるものを設置していて、かようなモノはそこに入れれば良いとのこと(含むバッテリー等)。便利なことに、その投入口に入れば小型ノートパソコンもOKらしい。

 掃除と猫パコ騒動で元旦の夜はこちらも疲れ、おせちをつまみでひっかけながら、ゴローさんスペシャルを見た。見逃し配信のTver(https://tver.jp)なので、「孤独のグルメ 大晦日スペシャル」は6日ぐらいまで見られる。
 今回のスペシャルは今までになく、ストーリー無視のひたすら飯屋めぐりに徹していたので、息継ぐ暇のない展開だった。最後はちゃんと客として久住さんも登場していて身内ネタをハズしていない。これを家族で見たていたら明日の食事は何にするかでモメていたかもしれない。洋食か?焼き肉か?中華か?中島家はファミレスの洋食だった。


 

謹賀新年

 昨日大晦日の夕方、やはり「伊勢エビ」を飾りたくなるもどこも売ってはおらず(当たり前だ)、やっと最後の店で見つけたが、売り場の前はそれなりに物色している人たちがいた。この期に及んで買うか松飾りを、なんと云うとぼけた人たちだ、それじゃ我が家と同じじゃないか。
 さすがに一夜飾りはやめ当日飾りにし、カミさんが早朝玄関にひっかけてくれた。来年はもうちょっと大きな伊勢エビを狙おう。

 今年のおせち料理は初めての外注。
 いつもは好きな刺し身と餅を買ってきて、あとは適当に少量少数作っていたのだが(もちろんカミさんが)、今年の正月は来客の予定があったため2段のをゲット。
 おせち料理は奥方が作るものだ、という考え方もあるが、私は全然そう思わない。そもそもが幼少の頃からこのおせちがとにもかくも苦手だったからだ。ほとんど甘いし煮物ばかりで、美味しいと思って食べたのはカマボコとコハダ、煮豆ぐらいで、それも元日のみ、2日目以降は普通のご飯とかカレー、マルシンハンバーグ等を求めた。
 でもこういう外注のは、ちょこちょこ少量のが沢山入っているのでお好みツマミになるから悪くはない。来年も頼むようだ。
 何故お節を正月三が日とか食べ続けて七草粥云々は各自ググッるとしても、我が家の二日目はワイン+生ハムだ。で粥はいつも食しているので特になし。でもスーパーで売っているので七草粥は食べている。スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)の香りがしてこれはこれで美味いね。

 雑煮とお節の後は部分大掃除で、リビングに置いてある昔のコンポを2つ、中島写真工房の歴史資料博物館(単なる狭い玄関のスペース)に移動した。個人的に捨てきれずアンチ断捨離として墓場まで持ってゆくモノをチン列している。Macintosh Plusや初代iPodがあったりもする。
 アンプとチューナーは高校の時にバイトして購入したもので、今でもスイッチをいれればちゃんと稼働する。金属部分は錆びたりしていて、昨今のYoutubeとかではその復活修復方法などが流行していてちょっと触手が動くが、フィルムスキャナーがあるので現状維持になりそうだ。
 共に山水のシリーズで45年前の価格で10万と7万で、とても買えないところだが、いずれも店頭に置いてある商品ということで半額だったので根性で買った高校3年生。
 その高校生で言えば、オーディオは秋葉原、中古レコードは銀座のハンター、楽器はお茶の水、カメラは新宿ヨドバシ、軍服的ファッションの上野アメ横、高校は池袋(板橋)というのが定番で、渋谷って何があるの?という時代。

 と言いながら、相変わらずエプソンスキャナーGT-X970は18時間連続連日稼働中。

平林寺の紅葉

2003年11月の平林寺。
 埼玉県朝霞市にある何宗だか分からないけれどそれなりになんかで有名なお寺。少なくとも写真愛好家には綺麗な紅葉のあるお寺として有名だ、と聞いたので朝イチで行ってみれば平日なのに駐車場は2台分しか空いていなかった。
 
 拝観料はあるが特に撮影に関する規制等の張り紙はなかった。
 しかし昨今の撮影マナーの低下によるトラブルを良く聞くので今はいろいろな規制があるかもしれない。
 紅葉を見る、撮るというのなら、時間をかけて渋滞の中、日光や那須などに行かなくてもここに来れば十分と言えるかもしれない。

 とにもかくも広い境内は紅葉で埋め尽くされ、その鮮やかさに目を奪われひたすら綺麗な紅葉を撮り始めていて、気がついたのは少し経ってからだった。
 三脚につけたカメラはなんだ?・・・FUJICA GS690だよ。フィルムはなんだ?・・・ACROSだよ。何を撮っているのだ?・・・あっ。色で見たモノを撮っても何も写らない、ということに気付いた。
 男性のスーツで言えば、フットワークが制限される6×9+三脚はフォーマルとなり、135はカジュアル。大判だと正装かな。つまり、それらを使用するところでの視線と撮影姿勢を認識して臨まないと、私のような6×9の撮り方ではなく、それは135の撮り方になってしまう、になる。
 などと考えながら平林寺の紅葉を撮っていたのを思い出した。若いね・・・45だからもう若くないけど。

今市市

 2004年9月の今市日光の写真
 6×9(ロクキュウ)で何か撮れればとこの時期少し通った今市周辺。
 旧日光街道があるので故林忠彦の『東海道』を思いながら行ってみれば、ウデが違い過ぎるのは置くとしても、そもそもレンズが違うじゃない~。旧日光街道よりも135で撮るような被写体を撮っていた。何をやっていたのだか。
 帰りにいつもの「日光たまり漬け」で漬物買ってくるのが楽しみの一つにもなった。

 今市市の鉄道は東武とJRがあり、商業的には東武の方が栄えてはいたが、都市開発が進み今は道の駅のある国道やJR駅付近の方が賑やかになっていると思う。日光市とも合併したし。