秋田大館の鶏めし弁当

気がつくと2日間、Facebookに投稿していなかったのは、Adobeのillustratorを使うのやめることにしたので、HDD/SSD内の全illustratorファイルを旧バージョンでも開くように別名保存をずっとやっていたからである。
以前は毎週のように使っていたのだが、最近はかなり少なくなったので、サブスクリプション22,000円/年が高額に感じ始めたからである。でも、使えなくなると過去のIllustratorファイル全てが開けなくなるので、旧MacOSの入っている旧バージョンでも開くようにダウングレードしていたのだが、1TBぐらいのデーター内のあちらこちらに散在しているフォルダをチェックしていたので、目が痛くなってきた。

今週末は、カミさんが東京駅内の駅弁ショップにて買ってきてくれたのが、秋田県大館市にある花善という会社提供の駅弁「鶏めし」だ。
大館市と言えば、その隣にある比内鶏で有名な比内町があり、昔の文教大学の友達がここの出身で泊まりに行ったことがある。何故にして比内鶏が有名なのかは、鶏小屋か平飼いの違いとか、エサの違いとか言っていたけど、45年前の私には、食してもその違いが分からないし、今でも良く分からない。
今まで、弁当にしろ美味い鶏めしは、高弁の鶏めしと思っていたが、これを上回ったのが、この大館市の「鳥めし」だった。有名な比内鶏だから高価なのか量が少ないが、鶏飯が当社比として美味い、こんなに美味いのは初めて喰った感じだ。
鶏飯って、鶏肉を甘辛く煮て、その汁で炊いたものだと思うが、辛くなくしょっぱくなく、かつ薄くもない微妙な風味に、思わず、美味い!と叫んでしまった(心の中でだけど)。
普通の鶏飯は、飯の上に鶏肉の他に卵焼きと鳥肉のそぼろで敷き詰めてあるが、これは全然敷き詰めておらず安っぽい感がするところ、この鶏飯で勝負しているのだと思った。
駅弁選択に困った時には、この秋田大館市の鶏飯は要チェックかも。

Illustratorのファイル処理作業は、どことなく終活に類似していて、やや根を詰めてやっていたら、上の方でギシギシと音がして、ふと見上げれば、5kgの猫パコがエプソンプリンターの上でひよっている(今、その上で爆睡中)。足を組み替えたらグニャ~、なんだ?と思ったら、パネルヒーターの横で猫パコが大往生的に寝ほうけていた。
時として部屋に入るとムッとする、とカミさんが言ってはいるが、昼から夜まで獣が2匹いれば、そんな臭いもするだろうが、当然一緒にいる私は気付かない。

浄土宗

先日、親戚の法事があり、その寺が浄土宗だと分かっていたので、佛教大学授戒会で授かった袈裟を首から下げ、浄土宗の数珠も持って行った。
中島家は浄土宗だが、ここ近年、他浄土宗の寺に出向いた記憶がない。そして、礼服のネクタイはいつも黒だ。白だったのは記憶にないくらい昔で、思い出せない。
スクーリングとかで京都へ行けば、あちらこちらに普通の寺が散見し、その度に「この寺はどこの宗派だ」などとつい確認してしまう私がいる。浄土宗と記されていれば、思わず合掌~。
久しぶりに浄土宗と記された表札を見ると、ホーム感を覚える。他の宗派の寺だと、どことなくアウェー感がするのは、敬けんではないが、浄土宗徒である自覚が少し生まれたのかもしれない。これもひとえに佛教大学に通っているおかげかもしれない。
そこの住職が私の袈裟を見て理由を聞き、京都で授戒会を受けたと言ったら、知恩院とか・・あとは清涼寺とかですか、と聞かれ、さすが浄土宗のプロだな、と思った。
まさに私はその清涼寺(嵯峨野辺り?)で、その話しから、浄土宗の宗歌「月かげ」が出て、これは浄土宗の女子高に通っていた娘の出番となった(歌わなかったけど)。私と娘の一番の共通項が浄土宗ネタだ。
経が始まれば、「南無阿弥陀仏」の同唱十念を聞き、久しぶりにプロの同唱十念を聞いたね、と娘と話しをしていた。「南無阿弥陀仏」を10回繰り返すのだが、8回目で抑揚が変わり、最終楽章風に9回目が始まる。・・だぶつの「つ」を言うのは9回目のみというのが最近の決まりらしい。
来年は、浄土宗の開祖法然の開宗850年記念があるそうで、その関係からか綺麗な葉書みたいなのを頂いた。建物とかを立体的に見せるためにくりぬいてある丁寧で綺麗なものである。家にある小さな阿弥陀如来?の木像(30年くらい前に台湾鹿港で購入)の横に立てかけた。
帰り際の壁に「十念を唱えましょう」という掛け軸風ポスターがあったので、娘と一緒に同唱十念。
特にという訳ではないが何かの懸念があったのだろう、訳の分からない同唱十念をしたら、どこかしら心が軽くなった。懸念自体は変わらないが、無意識の懸念がリセットされて軽くなり、これの最終系が「悟りの境地」かと思った。
しかし、自分の中だけでプラスに解釈すれば全て良しと思うが、「これこそが悟りへの道だ!」などと他者に説き始めたりすると、それはそれで新たな人生が始まるのだろうねぇ。私は興味ないけど。

換気扇換装計画

一般的な家屋において、汚れちまった悲しみ(中原中也)的箇所のトップ3を挙げれば、浴槽、トイレと続き、No.1は、キッチンの換気扇ではないかと思う。
その換気扇がとうとう動かなくなってしまったが、35年選手だから製品人生を全うしたわけだ。
スイッチを入れても回らず、何回か押していると動く時があるが、OFFにすると二度と回らない雰囲気となり、交換大作戦となった。
昔から知り合いの工務店に頼み電気屋を紹介してもらうが、換気扇交換だけではスピーディーさを上げてはくれず数日経っても連絡がないので、自力でやることにした。この間、換気扇は24時間回り続けている。

この換気扇は、サンウェーブ製だが、調べたら、かなり前にLIXILに吸収合併されたようだ。サンウェーブのなんてもうないだろうな。
LIXILのwebサービスは素晴らしく、修理や部品調達などにいろいろ分かれていて、その部品調達に電話をした。
そのサンウェーブ製の換気扇は、名称を変えただけで、規格やコネクター形状などは同じになっていたのがラッキーだ。
電話先の担当者にその換気扇の製品番号を教えたら、そっちに同じのがあるの?というくらい、事細かく正確にその交換方法などを親切丁寧に教えてくれて、昭和風に受話器を持ちながら頭を下げている私がいた。
その替わりの現行品換気扇の商品番号、及びアマゾンで販売していることも教えてもらい、15,000円のをポチッ。
ただ、フードにある換気扇スイッチだけは製造中止とのことで、ここのコンデンサーとかがダメになったらアウトです~、とアドバイスを受けた。「秋葉原デパート」とかへ行って仕入れてくるとか?今もあるのか?
因に、キッチンの換気扇周りの交換やリノベーション?はユニット交換になるので、そのフードや換気扇などを含めて、78,000円ぐらいだそうだ。これをLIXILに頼めば、取り付け工賃なども含め、120.000円以内に収まるのでは、と勝手に想像すれば安いかも、とポチッした後に気付いた。遅せーよっ。

問題は換気扇+フード内の清掃だ。
それなりに掃除しているので、その間、油に塗れた黒い埃等が付着しているが、それほど多くはないのだが、問題は換気扇だ。換気扇はカバーと羽を取り外して掃除していたが、換気扇の枠までは掃除しきれず、その周辺は35年間の歴史が堆積付着している。写真を掲載したら「閲覧注意」表記が必須だろう。
もう一つは、換気扇の下には当然ガスコンロがあるのだが、これをどかさないと作業がしずらい。となると、ガスコンロ周辺も清掃となって、早めの年末大掃除になる。← かなり手前から「掃除するぞ、掃除するぞ」と言い聞かせてテンション上げまくらなければならないのだ。
月開け上旬はいろいろ用事があるので、この大作戦作業は、10日以降を予定。

家の棚とか台などのDIYをするのはカッチョ良い雰囲気があるが、こういう換気扇の交換&清掃は地味でカッチョ良くないのがイマイチだ。主夫の宿命か。

スシロー

回転寿司では有名な「スシロー」があり、一時悲しい被害を受け、個人的にも「スシロー」に同情をしていた。
が、私の記憶が正しければ(どっかで聞いたセリフだ)、「スシロー」って行ったことがない。地元で行くとすればもっぱら「はま寿司」だからだ。「はま寿司」はゼンショーグループで、他には「なか卯」や「すき家」などがある。うーん、そうなんだ。
「はま寿司」が好きなのは、1貫(寿司2個)100円が大多数を占め、高目のイレギュラーは特別になっているのが分かりやすい庶民プライスなところだ。「ここのところで何を文句を言う?」スピリッツがある。

で、初めての「スシロー」では、基本は1貫120円と180円があるが、その価格帯には「はま寿司」と同様な統一感がある。しかし、「はま寿司」より微妙に割高だけど、それ以上に、「これ回転寿司?」という美味さがあってびっくりした。
開店11時に行ったからのもあるが、シャリ(ご飯)が機械で作ったようには見えない丸みを帯びていて、酢と甘さは「はま寿司」同様、正統寿司屋のに近似している。
ネタがまた、ええー?と思うくらい美味い。開店と同時に行ったからだろうか。因に「はま寿司」は、そんな時間に行ったことはなく、たいてい夕方以降だ。
イカとかタコ、ゆでエビなどを食したが、百貨店のデパ地下で売っているモノぐらいの旨さがあった。特にイカは「かみ切る」とかはなく柔らかく甘味があった。開店と同時に行ったからだろうか。

一番驚いたのは、光モンだ。
店を試すとかではなく、単なる好みからで、コハダ(漢字だと「小鰭」なんだね、普通読めねーよ)を頼んだら、どこで作ったかは分からないが、酢の効き具合が安直ではなく正統寿司屋で出てくるような風味で、びっくり。開店と同時に行ったからだろうか。

みなさんからすると「いまさらジロー」(おやじギャグ風)だけど、お初「スシロー」、いーじゃない!と庶民的に感動した~。

早くも中秋風だ。

気候って(首都圏の話だけど)、たった1週間でこんなにも変わるものなのか、というのが、晩夏から初秋にかけての最近で、寝る時にかけるタオルケットが、シルク毛布に替えるもそれは数日間で、厚手の毛布になってしまったのが今夜から。
湿気がなくなり乾燥し始めたから余計ひんやりするのだと思うけど、最低気温が15度。Tシャツと半パンで寝るのには寒くなった。
ただ、我が自室は変わらず西日が入る+コピー機があるので他の部屋よりも年間通して5度ぐらい高いので、猫達は晩飯まで自室に集結しているのが夏以外の風物詩的になっている。

市内に業務スーパーができたので行ってみれば、写真のような南欧風のチーズのオリーブ漬けみたいなのが真空パックで298円(398円だったか)で売っていた。パンのスライス+ワインに合うね。

 

ふくしまシール

200m離れて見れば、サンダーバードのペネロープ号に見えるかもしれない(見えねぇよ)、ピンクの軽ハスラーの後ろを見れば、福島キャンペーンのマグネットシートがをずっと貼っていたのに気付いた。
昨年の今頃、第二のふるさとである福島県の白河へ行き、「とら食堂」の駐車場に停めた時にも貼ってあった記憶があるので、昨年の夏辺りから、このキャンペーンが始まったのだと思う。

「ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま」
https://jitsugensuru-fukushima.jp

あれから1年ちょっとの今、何が「はじめよう」で、何が「実現する」なのかが分からないけど、今月下旬の白河行きもこのシートが貼ってあると思う。
相変わらず、読みづらく色盲検査のチャートにしか見えず、車の後ろに貼るのは、後続車に向けた安全運転履行違反ではないかと思うデザインだ。
貼っておくのは嫌ではないが、サクラが割く頃かGW辺りまでかなぁ。どうせなら、復興・計画・実現・福島のキーワードにて「復図遂福」の四字熟語風、または「捲土重来フェニックス福島」、「フェニックス福島」とかを記した読みやすいデザインのマグネットシートがあると個人的に嬉しいのだけど。

10月は新米をもらいに白河へ行くので、初秋の我が家は福島で熱くなっている。
で言うと、皇室では「新嘗祭」というのがあって、皇居内の田んぼで採れた最初の新米があるまで、他の新米を食べられないとかを聞いた。←部分的に情報が曖昧。
でも、「新嘗祭」を「にいなめさい」というの、読めねーよ、普通は。読めなかったの私だけ?

イル・ビソンテ

頼んでいた財布の修理が完了したと、イル・ビソンテから連絡があったので、新宿へ行く前に池袋のルミネに立寄った。もとの価格は9,000円ぐらいで、その修理費が3,800円。
普通は、期間を開けて池袋を2往復してと、とても面倒なのだけど、こうして修理してみると、一つ愛着が上がるのは、この財布に限らず、良く使っている「道具」など全般に言えることかもしれない。メンテも含むけど。
包丁も研ぐのは私なので愛着がありまくりだけど、扱いがやや雑になっているので「匠道」への精進が足らんと言える。

喫茶店のモーニングサービスが終了する頃から夕方までは、私の部屋で二匹の猫は寝ている。猫ハビーの成長に合わせて接近度が増してくるのだが、それはほんとにカメの歩みだ。
それよりも数年前に背景のドアに設置した自作猫専用ドアが自画自賛だ。
のこぎりでドアに穴を空け、ミシンでジコジコと黒猫イラストの厚めの布をカットして、最後に3mm径の軸を入れて完成。取り外しできるので洗濯もできる。←たいていダイソンで吸い取るだけだが。
この廊下に繋がるリビングのドアにも似たような猫扉を取り付けた。
これを付けたおかげで、飼い主は、随時ミャ~(ドアを開けてくれ)と鳴くリクエストに応える煩雑さから開放された。もう一つは、勝手にドアを開けて出てゆくのだが、閉める学習能力がないので、冬は寒い~。
ベランダへの網戸の猫用ドアは売っているので、これは楽だ。これらの出入りにおいては、かがんで出入りするので、猫達も茶室への出入りと同様になり「茶道のココロ」を学んでいるはずだ(そうか?)。

中華丼

毎度ながら、3食入りの中華丼のレトルトパックを買ってくるのだが、時として、かたやきそば風に喰いたいと、そのそばだけ買ってくるもいつも2玉だ。よく考えれば良いものを、レトルトを2パック中華丼で喰ったところで、かたやきそばで喰いたくなることに気付く。アホだ。ただ、一人で喰う週末の昼飯ぐらいなので問題はない。

今のところやることないので、朝から漢検の復習をし、昨年6月の頭の体力に戻そうと、半年後を目標にやっている。
1年のブランクでも忘れていないのもあれば、完璧に分からないのもあり、この辺は、全開の1年間の学習では当社比として不十分だったのだというのが分かり、また、それが点数に現れているのを再確認して、こういうのを確認する度に自己嫌悪となる。自己嫌悪は慣れたけど。

好みか相性からなのか、なかなか覚えられない単語や用語というのが幾つかあって、その一つに「遊び」というのがある。読みは「すさび」なのだが、「すさんだ」からの「荒び」もあるので記憶が定着しない。その意味は、暇なので心任せに何かをやり続けている意味かと思っていた。
改めて大きめ辞書で見たら、「退屈な環境を満たすべく、何か稽古事などを心のままにすること」とあり、その用例として「老いの遊び」とあって、あれ、これオレ様じゃん~!と、一発で覚えた。
最初は来年の6月を目指していたが、これじゃ来年の来月の10月的になりそうだ。しかし「退屈な環境」だから、良いか。

心機一転して、今まで使っていて少し残っていたウォーターマンのブルーインクを捨てて、新たにiroshizukuの「深海」をポチッした。iroshizukuは人気があるからか、いろいろな色が追加リリースされているようで、その「深海」は、ブルーとブルーブラックの中間ぐらいの青さがあって飽きの来ない色だ。

シルバーカード

市から老人介護の保険証とそのカードなるものが送られてきたけど、聞けば、65才になる各自の誕生月に郵送しているようだ。
他、老後の明るく元気なライフワークとして、サークル紹介などがあるが、ヨガとか、社交ダンス、料理、合唱等、ちょっと私の方向性とは違っているいので、どうしようかねぇ、と軽く思案に暮れていたりする。
こもってばかりじゃなんなので近所のサークルにでも入って外出する機会でも作ろうと思っていたところで、生涯学習センターとかのサイトを見つけてつらつらと検索してみれば、同じく、ヨガとか社交ダンスとかが多く、またあちこちにあった写真クラブもあった。
続けて探していると、「漢詩を読む」とか「古文書研究会」とかがあって、なかなか良いかも、特に後者が。そのうち連絡してみるつもり。

草稿vol.2

じじーだって、金払えば試験なしで学生の身分になれるもんだ、というところで、今期(2024.3迄)卒業しないと追い出されるぞ、と脅されて、卒論に取り掛かり、草稿vol.2を提出した。
ちょうど10年前の文学部中国学科の時には、中国の魯迅を論題にするも、短編集『吶喊』と『彷徨』の原文を読んで考察風の感想文でOK貰ってしまったのだが、今回の歴史学部はそうは問屋が卸さない風に、論文のお作法に厳しい。当たり前か。

リポートではなく論文なのでその枚数からして、担当教員からのフィードバックは、2~3週間待ちで、気分は最高裁の判決待ち風。なので、その間、何もやることないのだ。
この草稿vol.2で大きな突っ込みはないと信じて、今まで受講した課目の製本をすることにした。

2度(中退を入れれば3度)、大学へ行くとは思わなかったので、その中国学科のファイルにテプラで年号を貼った。
当時は、オンラインなんてないので、スクーリングはみな在キャンパスだったので、先生から頂く資料が多くて嬉しい悲鳴だった分、ファイルが分厚くなった。オンラインになってからは、配布資料が少なくなった。webから自分で調べてね、なのかもしれない。
製本してファイリングしても殆ど見ないのだが、3割ぐらい見直す機会があり、この時はMac内で探すより本棚から探す方が早いのが不思議だ。

一時流行った電子書籍も、今や廃れてなくなったとは思えないけど、それなりに紙とwebの棲み分けができていると思う。ただ、AmazonやAppleなどの電子書籍アプリはインストールしてあるのだが、購入方法が私にとって煩雑なので、殆ど活用しておらず、たいていAmazonから古本を購入している。電子書籍では、漫画がうってつけで、小技必要なくスクロールすれば済むだけだからだ。
ただ、電子書籍の場合は、家族とかで共有できないのが難だ。面倒でしょ、その都度、自分のiPadやiPhoneを渡すのは。たまたま昭和チックに浸りたくなり、長谷川町子作の『いじわるばあさん』を読みたくなりカミさんの承諾を得て全巻セット中古のを4,200円でゲットした。『さざえさん』全巻だと大変なことになるが、『いじわるばあさん』だと全巻6巻なのでお手軽な量だ。

取り急ぎ、草稿vol.2を提出したという大義名分ができたので、鳥取の松之江製造のしめサバで一杯やると。