東部海岸沿い
高雄から花連までの道のりは、鹿児島から大分ぐらいの感じで、早朝高雄の土産屋に寄ってから9時半にそこを出発し、途中、食事と休憩を入れながらも18時半に花蓮のホテルに着く9時間の行程は、ずっとバスに座っている楽さを越えた、ケツが痛くなるほどのハードさがあった。
また、台湾東側の海岸をずっと走り、青い空と青い海が車窓に広がるが、ずっと広がり続けているので途中で飽きてしまった。
長いバスの車中を予想していたのでいろいろ本を持ってきたのだが、バスの車内で本を読むのはNGだ。頭が痛くなってきてとても読める状態ではなく、ずっと寝ていた。
一周目的のバス移動なので、食事は一般的ツアーでの「ちゃんとしたレストラン」ではないのが多く、旅のしおりには「台湾の田舎料理」というのが幾つか記されていた。
逆にそれが私達日本人にとって良かったのかもしれない。中国ツアーの食事等においては、立派な名のある中華料理が出るが、いずれも炒めたものが多く、種類が多くても日本人からすれば類似感があって途中で飽きてしまうのだが、台湾の田舎料理は家庭料理に通じているところもあり、炒め物も出るが、ちょっと硬めの台湾卵焼きや生野菜サラダ、小粒のシューマイや春巻き、おでんの具のごぼう巻きやつみれなど、そしてトンカツの添え物のキャベツの千切り、そして香の物としてキュウリのキューちゃんが出てりしてワンダフルであった。台湾風の味覚にはなってはいるが日本人の口に合うものも少なくなく、飽きて食べられないというものはなかった。
生野菜サラダは当然、飲んではいけない水道水で洗っていると思うのだが、インドや中国の水道水よりはかなりマシな硬水なのだろう、同行参加者27名、誰もブレークダウントイレはいなかった。
そして何よりも米が美味かった。
単に種類の違いだけど、中国とかの白米はタイ米(インディカ米)なので、慣れない臭いがあるが台湾の米は日本と同じ種類のようだ。そして「池上米」という高級米ブランドを開発してから久しく、台湾東部沿岸はその池上米の産地である。日本のササニシキの味に近く、いつもお代わりしていた。
上部写真の街道筋のポツンと佇む食堂風「祥瑞池上飯包」などで食事をしたのだが、「飯包」は折り詰め弁当、または仕出し弁当の意味だと思う。
この台湾東海岸一帯は幾つかの少数民族が多く住んでいて、途中立ち寄ったドライブインの広場では学校の休みを利用して部族の子供たちが民族衣装を着て踊りを披露していた。正面手前にはちゃんとチップ入れの箱が置いてあった。10元のつもりが間違えて50元コインを入れてしまった。
顔立ちを見ると、日本人のルーツはこの台湾を経由したのではないかと思うくらい似ている。
そして花漣市に入ったところで北回帰線地点を見学した。ここから以北が亜熱帯地域で以南が熱帯地域とのこと。ここに限らないのだけど、今や台湾はどこでも中国人観光客が日本人よりも多く、その比率は、中国人:日本人:その他 = 5:3:2 ではないかと思った。この北回帰線地点に来た時は、7:2:1 ぐらいの印象があった。
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