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烏山頭ダムへ/往烏山頭水庫
 

烏山頭ダムへ/到烏山頭水庫
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六氏先生

 今回の台湾ツアーは、日本人の縁ある史跡を訪ねるのが多いようだ。
 1885年、台湾を統治した日本は、台湾を日本と同じくすべく同化政策を採り、その政策の最重要課題は教育であると説いた教育者、伊沢修二は台湾に国語伝習所を提唱し、日本から教師を連れて来て、その最初に台北にある芝山巌恵済宮の一角に、芝山巌学堂という学校を設立した
 統治初期のまだ治安の悪い1886年の元旦、抗日ゲリラに6人の教師は惨殺されてしまう。
 6人の墓や追悼碑などがあり、毎年2月に慰霊祭が行われ、台湾教育の聖地として称されている。その6人を称して「六氏先生」という。
 詳細は、Yahoo等にて「六氏先生」で検索すると沢山出てくるので、そちらを参照。

芝山巌恵濟宮 捷運淡水線の芝山駅か士林駅から徒歩20分と聞いているが、今回は老朋友のはんちゃんの車で行った。
 「六氏先生」がいる芝山公園に来てみれば、長い階段があるのだが、webとかで見た階段とはちと違う、ま、いいか。
 階段左右の柱には、論語みたいな言葉が刻んであったので、儒教系の廟なのかもしれない。
 階段を上り切ると、見晴らしの良い広場のある芝山巌恵済宮に着いた。高台なので風が吹いていて気持ちよい〜、と思うのは数分で、やはり7月の台湾は暑いぞ。

芝山巌恵済宮芝山巌恵済宮
 廟だからかもしれないけど、どこにも「六氏先生のお墓はこちら〜」みたいな標識が皆無だ。人少なく、ポツンと廟の木陰で休んでいるおじさんに聞いたら、親切にもわざわざ一緒にその場所まで案内してくれた。
廟の横奥に森に入る出入口があり、標識などはない。板を通した自然歩道が続き、そこをテクテクと歩いて行く。数分歩くと、そのおじさんが遠くを指さす。
歩道から脇の奥、数メートル先に「六氏先生の墓」が見えた。指をささなければ、気付かず通り過ぎてしまうぐらい、ひっそりとポツリと佇んでいた墓だった。
さらに歩くと、伊藤博文が記したとされる「学務官僚遭難之碑」や小さな公民館(「雨農閲覧室」)が立っていた。
クーラーの効いた室内では3人の若者が図書館でのように勉強をしていた。

学務官僚遭難之碑六氏先生の墓六氏先生の墓

 小道を戻り、それて墓に近づく。
 6人の位牌が立て掛けてあり、あれ、私と同じ性の中島長吉という人もいた。合掌をして、墓と一緒にパシャリ。
 2つぐらい小さな案内板があったけど、日本語はなく中国語だけ。台湾政府との政治的な配慮からかな。観光地ではなく、知る人だけが行く場所だからかもしれない。
 烏山頭ダムとこの六氏先生の墓は、行きたくてもなかなか行けないところだったので、今回行けて良かった。

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