猫町猴硐
台北から電車に乗って九份のある瑞芳駅の次に、猴硐(ホウドン)という駅がある。九份同様、昔炭坑のあった小さな村であるが、何故か野良猫が沢山住み着いて、最近、猫町と言われる観光スポットになった。
駅は、谷あいにあり、川を挟んだ向こう側の山の中腹に昔の炭坑がある。そこの一部分を修復しトロッコを走らせて見学ができる。
その反対側の山の斜面の階段をテクテクと登ってゆくと、猫関連風なお洒落でアーティスティックなお店が並んでいる。駅前には、台湾らしい食堂と竹下通りにあるような猫関連ショップなどがあり、そして旧猴硐炭坑の史料館を兼ねた観光センターがある。
台湾の村おこし的な観光名所には共通点がある。
史跡な建造物を修復しそれをポイントとして新たなイメージを添加したりするのだが、あちらこちら工事していたりして、一度にやらない。その分、行く度にその様変わりを楽しめて良いかもしれない。
そして、その景観を損なわない外装とその雰囲気に合わせた個人経営のお店が佇み、東京の青山とかのモダンなお店ではなく、谷根千辺りのちょっと裏路地に入ったところにある、小さな喫茶店とか雑貨店、ギャラリーカフェみたいな感じだ。
こういう新しい観光名所では、日本のに比べて圧倒的にのぼりや看板が少なく、そして店内でのポスターやチラシなどの張り紙が少ない。
北海道の「熊・鹿注意!」みたいなのと同様、猴硐の町に入る入口には、「常時猫がいるので徐行してね!」の看板があったりして、おお!しかし、ほんと、あちらこちらに猫がいる。駅の構内やトイレの入口、または食堂のテーブルの下などetc。猫も人に慣れてはいるが、エサ以外はにじり寄ってこないのが猫の習性で、まさに猫の棲むエリアに人間が訪れた、と言った感じの猴硐である。
猫ショップとかでは、小さな袋にカリカリを詰めた猫エサが30元(100円)で売っていたりする。
そのエサを2人組の若いカップルから貰った。買い過ぎて余ったからとのことだけど、聞けば、中国のナントカ省からとのこと。外国での中国人と言えば、常に団体で群集心理丸出しに傍若無人的な大騒ぎをする、そう30年ぐらい前の日本人観光客と同様の人種と思っていたが、こういう若者たちを見ると、ちょっと中国を見直したりもした。
猴硐坑に行って見る。
可能な限り、日本統治時代のモノを修復してそのまま残そうという台湾人気質には脱帽である。
入口もそのまま、そして100元(300円)でミニ周遊できるトロッコも当時のモノ、「KATO WORKS TOKYO」と刻印されている。
サスペンションのないトロッコに乗ってゴロゴロゴロ・・・。規則としてヘルメットをかぶらなければならないのだが、その50過ぎのおやじ達のヘルメット姿にはやや人生の哀愁が漂っている。
バイト風のあんちゃんが、出発しまーす、と言って回ってきたのは100mそこそこの大したことのない距離だが、これらはレプリカとかじゃなくて、なるべく当時のをそのまま活用しているところに価値がある。つまり、私の世代なら、私のじーちゃんが若い頃は、こういうところで働いていた、と言ってもおかしくない、というのがあるからだ。修理調整をしたとは言えども、50年くらい前のトロッコに乗って行く、というのは凄いことだ。個人的には、猫よりもこっちの方が見ごたえ、いや、乗りごたえがあった。
飯を喰おうということになった。
80歳ぐらいにはなるだろう元気の良いおばーちゃんが日本語で呼び込みをしていた店にはいった。
汁のないぶっかけうどん、または冷やし中華みたいタイプの「乾麺」を頼んだ。ちょっと濃いめのタレが美味い。
ふと、看板が気になった。「古早味」は「昔ながらの味」とかで、「正港」は「正統」と、いずれも福建省の言葉らしい。阿蝦の「阿」は親しい人への呼称だから「エビさん」、つまり「エビさんの昔ながらのうどん屋」かな。
創業80年だから、1930年の昭和始めの頃だ。こんな時からこんな店があったんだ。このおばーちゃんのお父さんが始めたか、嫁いだ先がこの店とかかもしれない。
駅を渡り反対側の小山に行ってみる。
斜面に家々が建ち並び、あちらこちらに猫も並んでいた。一番上に行ってみると見晴らしの良いところに長屋のような作りの個性的なお店が何軒があった。
谷あい故に風が通り、その高台だから山の風が涼しく、特に夏の台湾では是非訪れる場所の一つかもしれない。
せっかく道にコンクリートを引いたのに、乾く前に猫のお通りで、これもここならではのメモリーロードである。
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