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オーバー・ザ・80/超過八十歲
 

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新幹線

 叔父にとってはざっくりだけど台北周辺はたいてい行ってしまったので、明日はどこへ行こうか、と「程家」にて台湾ビールを飲みながら相談した。
 行っていない一般的な名所等を挙げれば、二二八紀念館、101、象山、基隆やその周辺の和平島公園、野柳、または金山にあるテレサ・テンのお墓ぐらいかな。101はエレベーターに乗るのに30分以上待たされるので、私も叔父も却下だし、象山と和平島公園は足腰の弱い叔父には無理がある。あまり台湾の歴史に興味のない叔父には二二八紀念館は厳しいだろう。
 よって、台中の鹿港へ行くことにした。私も叔父も台湾新幹線初体験だ。
 最初不安だったキップ購入も、行ってみれば日本のと同様、窓口にて普通に買うことができた。台中まで1時間で700元(2,260円)、京都〜大阪の1時間が6,350円からすれば安過ぎる。
 ただ、ひかりやこだまのようにいろいろなタイプがあるようで、帰りは「一番早く着く列車のキップをください」というところを「一番早く出発する列車のキップをください」と言ってしまい、途中、後発のに抜かれてしまった。
 白地にオレンジのラインが可愛いく車内は日本の新幹線と同じだが、座席間が日本のより広いのが何よりも快適である。車内販売もあったが、ビールは売ってないよ〜、と叔父は悲しんでいた。

台湾新幹線 台湾新幹線 台湾新幹線

鹿港バス駅 バス停は駅ビルの地下にあり、懐かしい「南投客運」バス会社もあり時刻表をもらってきたが、春陽部落や霧社などへの直行便はもうなく、すべて埔里駅で乗り換えるようになっていた。乗り継ぎ時間は良いみたいだ。
鹿港バス駅 鹿港へは彰化客運バスで、ちゃんと「鹿港線」と称してあって5番だった。もっとも地下を降りるとすぐに案内所があるので、中国語を喋れなくとも「鹿港(るーがん)」と言えば、手で「5」を作って指してくれると思うので、乗り換えは安心だ。そして悠遊カードで乗ることができるのが嬉しい。
 問題は帰りのバスだ、と不安に思っていたが、以前来たバス停が綺麗になっているだけで、かつ、大きな時刻表も掲示されていて時刻通りにバスも来た。場所は、鹿港警察署の裏をちょっと行ったところ。

 こんなに空いている鹿港は初めてで、いつも込み合う老街なども数人しか歩いておらず、媽祖の天后宮だけが小学校の遠足などで賑わっているぐらいで、龍山寺も人もまばらで、殆ど貸し切り状態だった。その分、老街には閉まっている店も少なくなく、いつも立ち寄るアーティスティックな本屋は別な違う店になっていた。

鹿港老街 鹿港 鹿港

 プチトマトを水あめでからませたのが屋台で売っていたけど、小さなプラム+水あめというのもあった。まずくはないけど、日本のあんずあめが食べたくなった。
 最近の台北では殆ど見かけなくなった観のする楊桃汁も、台湾中部まで来るとちゃんと売っているのが嬉しい。私の知る日本人の殆どはうげーっだか、以前飲んだ娘と同様、叔父はまずくはなく、まぁまぁかな、とのこと。この嗜好は中島の家系か。
 道幅が狭く、すれ違う時にはお互いの胸が擦りあうところから乳擦小道(乳擦小道)と呼ばれているところがあり、ちゃんと標識と看板も出ていて名所の一つになっていた。他、市場から入ってゆくくねくね曲がった小道の九曲巷もあったが、叔父の疲労を考慮して今回は通らなかった。

楊桃汁 鹿港龍山寺 鹿港模乳巷(乳擦小道)

迪化街 新幹線で台北に戻ったら予想外に早く着いたので、キクラゲを買いに前回行ったばかりの迪化街へ。さすがに鹿港を歩いて疲れたので台北駅からタクシーに乗り、良く分からないから運ちゃんに「迪化街の永楽市場へ行ってください〜」。
 乾物なんてあちらこちらの店で売っているのが迪化街のようで、お目当てはすぐに見つかったが、軽いがかさばるキクラゲの大きな袋、買うまでかなり迷った。と思っていたら、孫達も大きくなって土産を買ってゆく相手が少なくなったようで、叔母さんへにとキクラゲを買っていた叔父がいた。

 夕食は長春路47号「京鼎楼」の隣の台湾食堂「伍柒玖(五七九)」へ行き、明日は何処へ行こうかとビールを飲みながら相談する。テレサ・テンの墓と野柳はやめて、台湾のハウステンボスか日光江戸村みたいな宜蘭県の羅東にある国立伝統芸術センターへ特別特急プユマ号に乗って行くことにした。

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