何軒もの寄木細工や手工ギターの工房が建ち並ぶゴメレス坂に80年代後半辺りからだろうか、その1つの工房の軒先に、「買われたお土産を日本へ郵送するお手伝いします」と日本語で書かれたプレートが掛かっていた。
当時、アルハンブラ宮殿に行くのにはゴメレス坂を登るのが通常だったので、ゴメレス坂は多くの観光客で賑わっていた。そして多くの日本人旅行者は、その看板に魅かれてエミリオの工房と土産店に入り、それをきっかけにエミリオと友達になったに違いない。エミリオぐらい多くの日本人の友達がいるスペイン人はそう多くはないからで、特に日本人女性のお友達が多い。
10代の頃から寄木細製作に従事してきたエミリオは、今や老匠となり、ゴメレス坂やプラサ・ヌエバ周辺の界隈では、エミリオを知らない人はいないほどとなった。そんなエミリオとずっと友達でいられたことに内心、プチ誇りを感じていた。
日本でスペイン好きの人と会って話をすると、多くが「エミリオと友達だよ」となって、すぐにアミーゴとなる。
用があってグラナダへ行き、亡くなった奥さんのコンチの墓参りをしてエミリオと再会したら、「ケン、癌が3つも見つかったよ」と言われたのが2023年。いつもの元気なエミリオは、緊急性のない経過観察と言っていた。
その2年後の2025年、偶然にも3人のエミリオの友達が、月を違えてエミリオに会いに行った。なんかやつれたなぁ、と思うも、すこぶる元気そうなので年齢からかな、と思っていたところ、エミリオの長女から訃報が届いたのが11月だった。
あと3年ぐらいは元気だろうと思っていたけれど、少なくとも亡くなる年にエミリオと再会できた3人には、一種の「看取り」を得たことと思う。
知る限りでは、エミリオは3回来日していて、たいてい仲の良い友達のところへと、成田空港に到着後に宮崎や秋田、名古屋などを回っていた。
エミリオの宮崎県滞在時は、バモス(宮崎イベロアメリカ国際交流協会)の姫野専務理事が、東京滞在時は中島理事が、それぞれ写真と原稿を提供し、それらで構成したこのページをもって、エミリオに哀悼の意を表します。(2026年1月)