『TIME TO TIME 2011-2013』をお届けします。
1983年から始まったこの「TIME TO TIME」シリーズは、今回でちょうど10冊目。のべ30年に渡る写真と詩による記録です。
1冊目から比較して写真も詩も変化したでしょうか。そうかもしれません。しかし、人の根底は変わらないものだと、確認することもできます。不思議なことに、写真で詩を語り、詩で写真を撮っているページが今回の10冊目には数多くあります。
この小さな本の写真家と詩人は、この3年間に、自分の世界で出会った人、見た光景、それに対する思いをそれぞれの作品で会話を交わすように報告し合っています。あなたの3年間を思い出しながら見たり読んだりしていただけましたら幸いです。
写真展「Time To Time 2011-2013」
2014年9月4日〜10日 アイデムフォトギャラリー「シリウス」
- 草野早苗 1954.9.22生
- 2012年3月、詩集「キルギスの帽子」が思潮社より出版されました。それから、詩の世界がぐんと広がりましたが、精密機器の海外営業の仕事と詩の世界という二つの世界で、ヨタヨタと地上を歩いたり、たまには空を飛んだりと、相変わらず魂の旅を続ける生活です。
写真家とこの本の作成のために3年ぶりに会うと、まず経てきた歳月を互いの表情に認め合いますが、次の瞬間から昨日会ったような会話が始まります。ああ、この自分の出発点であった本に帰ってきたのだと、今回はしみじみとこの三十年を思っています。
- 中島 健 1958.9.12生
- この3年、相変わらずフィルムや印画紙等の製造中止や価格上昇が続き、フィルムがなくなる最後を見届けるか、途中離脱かの選択を迫られてきた。そして今回10回目となるこの『Time To Time』の区切りが後者を選択させてしまった。
つまり、これからは見合いとかで「ご趣味は?」と聞かれたら「デジタルカメラです」と答えなければならないのだが、「モノクロフィルムです」よりは通りが良い気がする。
昔、韓国の占い師から82歳まで生きる、と言われたので、人生の離脱まで、あと7回ぐらいはこの『Time To Time』は続けられるわけだ。
10冊の『Time To Time』を上梓してきたこの30年に際して、
詩人 草野早苗氏と出会ったのは今から30年前。
女性の詩は、たいていがガムシロップをそのまま飲み込んだようなドロドロした甘ったるい言葉を並べただけの恋愛叙情詩が多いので、あまり好きではなかったのだが、彼女の詩にはそんなガムシロップは一切なく、客観的なもう一人の彼女が存在していた。
「是非、一緒にやろう!」と、彼女の思う私の写真への印象などを無視して言い放った。
今のティーンエイジャーは生まれていなかったし、若者は幼稚園児か小学生。私のようなオヤジだってピチピチのナウいヤングマンだった1985年夏のことである。
ある手段でもって日記のように日々の日常を綴って行くのが「日録」。
最初は詩と写真を組み合わせて3年分の自分たちを現わそうという「試み」であったが、続けることによって知らずに知らずにその「試み」が具象化され二人のスタンダードとなった。
当初から「詩と写真を組み合わせる意味があるのか」「写真と詩が合ってない」「何を言いたいのか良く分からない」などの絶賛や称賛を頂き続けてきた27年の長い経験と愚行から、最近では胸を張って「コラボですから〜」と開き直って言い切れるまでに成長した。
「コラボやろう」「一緒に写真集をだそう」というのは良く聞くが、実現するのは千に三つのセンミツで、またそこからシリーズ化するのは万に三つのマンミツかもしれない。
しかし冷静になって考えてみれば、お金もかかり、みんなからは「また本を買わされるのですかぁ」なとどお褒め頂くので、最初からやらない方がマシとも思え、意義なども考えたら「どうせ」に行き着いてしまうのかもしれない。
また、「継続は力だ!」と、言い放つことができたのは若い頃だけで、最近は「継続すると力になることもある」と、柔らかくなってきた。
反面、それによって「どうせ」、または「やはり」になるのかどうかを検証してゆくのもありではないかと思うようにもなってきた。
3年前のみなさん、お久しぶり、そしてまた3年後に、というのが「Time To Time」。
と、記したのがこの10冊目を上梓した2014年の秋。
結果的に、この10冊目を最後に『Time To Time』は、打ち止めと相成った。
それは、写真自体がフィルムからデジタルに完全移行的になってきたのがこの2014年辺りからで、一般的に常用とされるフィルムや印画紙の販売製造が終了してしまい、かつ、暗室用品や薬品等にもそれらが及び、全体的に従来のカラーフィルム同等の価格につり上がってしまったこと、そして30年と10冊という数字の区切りに背中を押されてしまったこともその要因の一つかもしれない。
次回デジタルとなる「Time To Time」があったとしても、それは新たなスタンスでのモノとなるでしょう。