四谷でエリーゼ

 昔から並ぶのが好きではなく、昼時とかでたまたま並んでいた、という以外、行列のできる店には並ばない。
 開店と同時に座れるのなら、ちょっと前に並ぶのなら良いかな、ぐらい。

 四谷駅前に「しんみち通り」という飲み屋などが建ち並ぶ横丁があり、その入り口にはいつも行列が絶えないキッチン「エリーゼ」がある。キッチン → 町の洋食屋。

 なので、いつもその先にあるハンバーグ主体のキッチン「バンビ」が私の定番だ。

 昨日、四谷写真塾展の搬出に出かけた。
 昼時の混雑を避け、11時にバンビへ行こうとしたら、いつも数人並んでいるエリーゼの前には誰もいない。
 間接停電等の影響で微妙に人が少なくなっているのだろう、思わず入った。

 食べてはみたけど、行列ができる程の美味さではなかった。
 もちろん美味かったのだけど、並んで喰うのなら、並ばないバンビでも良いのではないか、味もそれほどバンビとか比べ優劣がつかない。
 もともとキッチンって調理済み冷凍食品は少なく、フライにしろハンバーグにしろ手作りで揚げたてのが出てくるから、店の個性はあったとしても、キッチンならどこでも美味いもの、というのが持論。
 
 東京で一番キッチンの多いエリアはダントツに神保町だ。その範囲としてお茶の水と水道橋がある。
 有名なところでは、グラン、マミー、ベジタリアン、ジロー、南海等。

 並んでなければ入っても良いけど、それならバンビでも良いと言えるような味だったエリーゼ。
 好みで別れるところだけど。

どっちでしょう

 計画停電が続いているので、公民館やコミュニティセンターが休館し、よって中国語教室なんぞは今月一杯休講。
 3/11の大地震の午前中に中国へ旅行に行った教室の仲間が帰ってきた。当分帰ってこないと思ったのだけど・・。
 
 教室は休みだけど、土産話もあるだろうと中華料理に集まった。
 その土産話で盛り上がるハズが、この状況なのでもっぱら例の大地震ネタが続いた。
 
 店はけっこう混んでいて、マスターがウエイターをやっていた。
 「マスター、なにやってんの?2人の女の子は?」
 「逃げた〜」
 「え、売り上げを持ち逃げしたの?」
 「そうじゃなくって、中国に帰った」
 「なんで?」
 「フクシマねっ」やっと意味が分かった。
 「マスターは逃げないの?」
 「私は店があるから、みなさんと一緒ね」

 こういう時って外人の立場は弱い。もちろん日本人が海外在住でも同じことだ。
 でも中国人ってしぶといと思っていたけど、行動の早さにびっくり。
 
 もう一人のクラスメートは、この状況においては観音様のような建築会社の設計士。
 おもわず「地震の時はどういう避難退避するのですか?」
 「やはりテーブルの下に身を隠して揺れが収まるのを待つのが一番です」
 「ええ、あんな凄くて長い揺れですよ。外に出た方が良いのじゃないですか?」
 「場所にもよるけどモノが落ちてきたり倒れる電線とかの二次災害があるから、やはりテーブルの下ですかねぇ」
 「でも関西大震災で屋根だけが残っているのもあるし、あのニュージーランドのビルもそんな感じでしたよ」
 「いずれも古すぎる建物でしょうね、特にニュージーランドのビルは手抜きに近い感じ。地震の多い国での建て方じゃないような・・」
 「でもより強い地震じゃ倒壊する可能性があると思うのですが、倒壊したらどうなるのですか?やっぱ外に出た方が良いように思えますがねぇ」
 「最悪は一階が潰れて二階部分と屋根がそのまま下に落ちるでしょうね。80年代半ばあたり以降に作られた一般家屋などは、たいていそのような耐震構造に作られていますから〜」
 
 ま、確かに電柱が倒れたり折れたりして電線が切れて落ちてきた時の対処も大変・・でも、迷うな。
 やはりテーブルの下か・・。
 

チキン・イン・ザ・ボックス

 スペイン語関連の友人の娘さんの作品「チキン・イン・ザ・ボックス」が南日本文学賞の最終選考に残った。
 調べてみたら鹿児島にある南日本新聞社主催の賞らしいが、残念ながら大賞は逃してしまった。

 写真の大きな賞もそうだけど、大賞、優秀賞・・入賞、入選・・というのではなく、1次、2次・・と続き、最後に最終候補作品が6つぐらい選ばれるので、少なくともその6つはそれなりのレベル作品、と言えると思う。
 聞いてみるとある審査員から「これはデビュー作だね」とか言われたらしい。
 私が「それじゃ、作家はみんなデビュー作を超えようとして悩むので、これから嬉しい苦悩が始まるかも」と言ったら、やはり審査員に同じようなことを言われたとのこと。
 それじゃ、本物だ〜。

 大賞以外は、著作権や編集権は著者に帰属するので、承諾を得て拙サイト内「友人情報」にアップした。

 http://www.accitano.com/doc/MCompany_J/Himeno_Kei/

 文章の基本って文体テンポで、無意識にページをめくっている感じではないかと思った。
 文学門外漢の私でも一気に読んでしまった。
 読後に、あ、なるほど、だからこういうタイトルなのね、って感じで、1冊の名作写真集を見たようだった。

 短編なので読むのは2時間もかからない。
 停電時のロウソク灯りで読むのも一考・・・見づらいか?
 感想とかがあったらお知らせ頂けると嬉しい限り〜。

ワールドワイド・フクシマ

 埼玉県春日部(今は岩槻)と東京の高円寺(だったかな)は、世界のオタクではヘタをすればデズニーの浦安や原宿より有名らしい。
 今回の大地震では、津波の三陸や宮城もそうだけど、何よりも「FUKUSHIMA(福島)」が全国区を越え世界で有名な日本の地名に加わった館がする。

 さすがに台湾の友達は良く分かっているから良いのだけど、スペインだと日本から1万キロ離れているから距離感メチャクチャで「フクシマ原発はケンの住む町から見えるのか?」とまでは行かないけど、新宿と池袋ぐらいの距離だと思っている。
 「三陸海岸って東京湾の隣とかか?」・・隣は駿河湾だよ〜、と言っても分からないからグラナダとマドリッドぐらいだよ、と答える(400kmぐらい)。
 
 ま、こういう時期に義援金詐欺などがいて、気分的にこんなヤツ死刑×3でも良いぐらいのヤカラもいるけど、似たようなところでラジオから聞けば、福島から首都圏に避難してきた人達を放射能汚染恐怖から表面的な差別が少しあると聞いて、おおお〜!!
 ある旅館では、福島県出身で宿泊を断られる、というのも聞いた。ひで〜。
 
 報道も悪いとも言え「基準値の40倍を検出」とだけしか言わないから、誰だって驚くよ、それは。
 かくいう私だって、避難民が埼玉アリーナに3000人ぐらい来て、その中には犬を連れた家族もいたと聞いた。
 なんで犬がいるんだ?
 非常食用?またはその家族は朝鮮系?なんて思ったけど、津波被害の人達は数百人で、他は放射能30km圏内の避難勧告を受けた人達というのを後で分かった。ペットも大事だよ。

 猫がいるから中型犬以上なら1匹ぐらい避難している間に預かろうか、または小さい赤ちゃんとかがいる家族なら数人単位で我が家の風呂へ、とかを思うも、入り口にはボランティア団体がいるからそういう申し出&処理も時間や手続きが煩雑そうなので躊躇してしまう。
 その前に、アリーナへ行くガソリン代がきびしいのが実情だ。

 ガソリン、なんとかして欲しい。
 今日ガソリン代を節約して歩いて行ったけど、街道筋のあるガソリンスタンドが開いていたけど、それを取り囲むように車がとぐろを巻いていた。
 その中の1台がエンストしたのか、周りの人達が押していた。
 今の車のキャブレーターは電子制御だから本当にガス欠になりそのキャブレーター内のガソリンがゼロになると車自体が動かない、と聞いたけど・・。

 大和魂風寡黙で粘り強い福島県民気質、応援したいね。

彼岸でカンコ

 ばーちゃんが足が痛いとか言って代わりに墓参りに行ってくれ〜、とのたまう。
 「墓が倒れていないかも心配で・・・」
 自分が倒れる方を先に心配しろよ、だ。
 信心深くない私からすれば、こちらが彼岸になってしまう気分なので墓参りどころじゃないのだけど、ま、近くなのでテクテク・・・。

 我が家の墓は一番奥にある。
 入り口の手前には私の友達の墓があり、数年前35年振りぐらいに彼のお姉さんとお母さんと会ってちょこっとだけ挨拶したことがある。
 
 今日行ったら、お姉さんがいた。
 「ガソリンがもったいないから自転車で来たのですよ」
 チャリで30分ぐらいかな。
 ここで話し込んでしまうと、私よりわがままなご先祖達から文句が出るので「後でまた伺います」と辞して、倒れていなければ蹴飛ばしてしまおうか、という我が家の墓へ。

 墓参りや先祖への供養云々は所詮「自己」の死への恐怖の裏返しでしかない、というのがボッキ~教風持論だけど、棹に流され風にお参りをし、「大金拾いたい」とか「最新のマックが欲しいよ」なんて思いながらお祈りしている。
 御利益があれば豪華な花束でも、と思うも、何もなし、そして先祖は天国か地獄にいるのなら、家の仏壇に線香を上げれば十分だ、と思うも、ま、此岸にいる限り、その風習に従うのも一つの社会的義務なのだろう、と無理やり納得している。

 じーちゃんはタバコが好きだったので(キセルだけど)、薄くてゴメンね、と言いながら火をつけたマイルドセブン・ワンを置いて儀式を終えるのが常。
 数本火のついた線香を持ちながら帰り際の友達の墓へいつものように行く。
 お姉さんがまだいた。
 挨拶をしながら数本の線香を置き、墓石や花に水を上げ、じーちゃんと同様に火のついたタバコを置いて合掌。
 「あぁ、ナカジマさん、だったのですかぁ、いつも母と誰がしているのだろう?と話をしていたのですよ」
 彼は20歳ぐらいでビルからダイブした。
 「小学校から高校1年ぐらいまでは良くつるんでいたけど、その後は疎遠になり、彼の死はずっと後で聞いたのですよ。偶然同じお寺というのを知ったのは25年くらい前からですかねぇ」

 やんちゃんな悪ガキ大将風だったけど、どこかしら筋が一本通っていたので結構仲が良かった。
 理由は忘れたがあだなは「カンコ」と呼ばれ、昔の石橋正次の役柄っぽかった。

 最初は、生きていれば女の子とよりスコスコできてより気持ちの良い経験がたくさんできたのにぃ、なんて思っていたけど、30年過ぎて、これから20数年ぐらいで死んでゆく年齢になると、行列ができるお店に早めに並んで食べるか、後から来て数時間待って食べるかの違いぐらいでどっちでも良いじゃん、なんて思うようにもなる。
 そんなことを考えながらテクテク家路に向かった。