大学2年の時(1978年)に四畳半6,000円のアパートに住み始め、その時に引伸機セットを購入したようだ。
フジ、ラッキー、LPL等があったが、なんとなく「FUJIFILM」がお洒落に感じ、且つレンズ付きでも一番安かったF970MFがあったのでそれを買った。本体45,000円ぐらい。バットやポリタンなどを入れて合計60,000円ぐらい、新宿ヨドバシで。
その暗室用品の比率は、LPL:ライオンの3:7だった。
露光タイマーは、1万円以上して高価だったので、目覚まし時計の秒針を見ながらアナログスイッチを押していた。← 目指せ、高橋名人。
買った引伸機でプリントするのが楽しくて、モノクロだけど撮ってはプリントして、写っている人に手渡していたある日、バイトしていた喫茶店の常連客が「ナカジマくん~、写真をプリントしているんだってね。これを撮ってプリントしてくれないかい、内緒で。プリント代は払うからさ」。
見せられたのは、本家本元の「ペントハウス」。
撮って欲しいページを開いて見れば、白牡蠣ご開帳のオンパレード、おおっ、これを撮らせていただけるなんて幸甚の至りだ。日本の税関をくぐり抜けてきたご禁制の書だ。バターもマーガリンも要らないぞ。←おそらくこれは都市伝説だと思う。上手く見えた!というのは、こすり過ぎて見えたのは次のページのが、だと思う。
そんな複写のがこのお座敷暗室のカットと同じフィルムに入っていて、青春のお宝写真そのものだけど、今となってはそんなのスキャン対象外だ。
この時代のアダルト状況では、ずっと昔からの小金持ち的旦那衆ご用達のブルーフィルムしかなく、あとは「エロ本」か成人映画、または旅館の2チャンネル、ちょっと小金持ちならストリップ劇場。究極は旧称「トルコ風呂」。この場合、怪し過ぎるキャバレーは省く。
80年代になってからか、いわゆる「ビニ本」が出てきた。
通常のエロ本よりも過激風なので「ビニールに入ったエロ本」がそのまま略されたモノだけど、名前から大ブームになった。
1983年以降になると、「ノーパン喫茶」やファミコンが普及し、ビデオも登場した。
が、ハードはあるけどソフトは?というところで1年後ぐらいに「洗濯屋ケンちゃん」とビデオ3倍速がかみ合って大ブレーク。私は写真屋ケンちゃんだけど、よくディすられた。
確かにモザイクないけど、孫孫孫の大ひ孫の3倍速で、顔さえも分からない、というビデオが出回り私のところへも来たのもこの頃。
そして、誰かに貸したそれらのビデオが日にち経って別な友人から、これ見てみる?と言って、それが戻ってきたのもこの頃。←オマエはシャケか、と思って愛着も出たが。
90年代に入り、CDRやDVDが出始めて+インターネットとなって今に至るところはあるが、40年前の若者は一般的にじっくりそれを拝めるというのは・・・どこ?ストリップ劇場ぐらいだったので、こういう写真はとにもかくも裏お宝写真だった。
当然、著作権とか肖像権、無断転載とかいう概念はゼロ。その前にご禁制なんだけどね。

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