お初ガイジンと英会話

 例の北海道の流氷ネタの再掲だけど、道南から道東へ向かったので夜行急行で行った。「北見」かな「網走」だったかな?刑務所へは行かずそのまま乗り換えてサロマ湖畔にあるユースホステルへ向かったのが最初の道東1泊目のサロマ湖ユースホステル。
 岸辺に置いてあるボートのすぐ先は湖だと思うのだが一面真っ白。翌日は網走市内をブラブラして斜里からヒッチハイクしてウトロへ向かうその途中を車窓からパシャリパシャリ。かの辺にお住まいの方々には申し訳ないが、やはり期待して見る流氷はただの真っ白にしか見えない。
 その後、南下して泊まった屈斜路湖ユースホステルが居心地良く、なんと2ヶ月後にもまたそこへ行くためだけに北海道へ行った。1997年3月の後の5月にだ。文教大学教育学部1年生、学業の方は良いのか?

 行けば、宿泊代は払うも宿の掃除や洗濯などを手伝うと昼飯をゴッチになれたりするので、同じように、せっかく北海道に来たのに大した目的も持たず居心地の良い場所にダラダラとそこに滞在しているクラゲみたいな知り合いや友達が少なくない。
 夏のハイシーズンよりも、どうでも良いような時期になるとこういう「種族」を散見し、自然とそれを共有して同化してゆく自分がいる。たいてい一人旅で、多くても二人だ。三人以上は皆無。
 クラゲ3人で食事をしているテーブルや食器、または背景の内装など、ほんと昭和テイスト満載キングの安宿、ユースホステルだ。若者にとって2食付きは最重要宿泊条件となり、ゲストハウスなどのない当時、最安値の民宿が例えば4,000円とするのならユースホステルは3,000円。当時の「ヤングトラベラー」からすればこの1,000円は大きい。

 結局、GW12日間をフル満タンで使うも屈斜路湖にいたのは10日間。どこも見ずそのために行ったようなもんだ。
 帰路も夜行列車で南下し函館辺りのユースホステルに泊まった時、生まれて初めて英語でガイジンと喋った。今でも名前を覚えていて、高校教師をしているシーガルというアメリカ人の先生だ。こちらは高校を出たばかりの英検3級の18才、会話になるの?だ。
 一人旅をしていて日本語も通じず寂しそうな感じだったので、英検3級で話しかけたら意外と通じて仲良くなり食事や風呂も一緒に入り、その後部屋に戻ってもずっと話をしていたのが記憶に残っている。
 高校教師だったので、その教え子のアメリカの若者の恋愛の仕方や考え方などを聞いたりして、英検3級の大学1年生、頑張ってんじゃん。もちろん、難しい単語も少なくなく、「ホワッツ、ミーン、ディスワード?」の連発は当然だが、さすが先生のシーガル、分かりやすく再説明してくれて良く分かった。
 北海道くんだりまで着て実践英会話教室ができるとは思わなんだ。ガイジンなんて言葉が分からないから話なんてできないと思っていたけど、英検3級でもイケるじゃん、とその時思ったのがファーストインプレッションだった。
 英検3級を80点以上で合格できれば、それなりに会話はできると勝手に思った。今、頭の中はスペイン語に入れ替わってしまい(オツムのキャパが足りていない)、英語は限りなく忘れてしまったけど。

1977.3.12-4.2 北海道 / 石北本線 KR
1977.3.12-4.2 北海道 /能取湖 KR
1977.3.12-4.2 北海道 / 知床 ヒッチハイク KR
1977.3.12-4.2 北海道 / 知床 ヒッチハイク KR
1977.4.27-5.9 Nikomat FT2  KODAK 屈斜路湖YH

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