その後の朝鮮史

 2つ出すレポートの1つが終わり、締め切りまで残り5日しかないところで2つ目をヤケクソ的に奮闘中。
 1つ目のレポート設題は、植民地期前の朝鮮王朝の歴史経過(だったかな)。
 朝鮮の人名の名字って中国同様一文字が多く、歴代王朝名も「祖」か「宗」が付いて「正祖」とか「正宗」なのでひじょーに覚えづらく、途中で断念してしまった。

 朝鮮王朝は、王権と儒者の中央官僚との政権掌握争いが延々と続いていて、まるで中国みたいだ。そして、その中央官僚内でも儒教の倫理観の違いから派閥が無数に質屋のように出たり入ったりしていて、東西南北のそれぞれの「人」、老論、少論などが出てきて、一応ネットで調べてみると、何故かyoutubeのがヒットして何それ?

 一服しにリビングに行くと、ここ数年24時間態勢で韓国ドラマを見続けているかみさんのiPadのそのドラマのスーパーに「老論」の文字をふと見つけ、これ何?
 歴史ドラマではこの朝鮮王朝時のが人気があるそうだ。
 かなり昔、大学のスクーリングで泊まったホテルのテレビで、王位継承権問題での暗殺を避ける為、皇太子が身分を隠し書堂(朝鮮の寺小屋?)に通い、8歳ぐらいで四書五経を暗記してそこの先生を驚かさせたというのをやっていて、カミさんにその話しをしたら「それは○×(ハングル語なので聞き取れない)ね」と即答。カミさん、もしかして隠れカムサハムニーダ、コリアンフリーク?で、エンドレスでその辺の情勢ウンチクが始まる。たのむからハングルのカタカナで言わないでくれる。ただでさえ、中国語の音読み風でパニックなのに・・。

 その書『朝鮮の歴史』を読むと、朝鮮王朝初期に作られて宮殿、景福宮というのがあり、皇居とかベルサイユ宮殿、北京の紫禁城のようなものだけど、植民地期になんとその敷地内に朝鮮総督府を大日本帝国は建設してしまった。多少、スペインのアルハンブラ宮殿の中にカルロス5世の宮殿みたいなのを作ったり、コルドバのメスキーターと類似しているところはあるが。
 さらに、朝鮮出兵にて、豊臣の秀吉さん、その景福宮を焼打ちしてしまった、と記してあり、後年再建したそうだが、すげーな日本の対朝鮮の歴史、植民地期の政策も含め、完璧に朝鮮フルボッコだ。これじゃ、日本大嫌いがDNAに入ってしまい、公式に謝罪しても無理、土下座しても無理、中国式の「三跪九叩頭」しても無理、適当な賠償金を支払っても無理。朝鮮からすれば、日本自体の存在がなくなるか、極東から遠い北海ぐらいまで国替えとかがないと本能な溜飲が下がらないだろうなぁ、と思った。
 植民地期の政策も、もうちっと何とかならなかったのか、と思ったりもする。政策ごとに区分してみると、なんとなく場当たり的な政策対応が多過ぎる。それは、アメリカやロシアに比べ国力が弱かったのだろう。広い国土はやはり有利で良いね。 
 もう一つの現実としては、その18世紀から19世紀の世界価値観は、欧米の文明武力の優劣によって植民地と被植民地に別れていただけで、それに対する善し悪しの観点のない時代だったので、現在の価値観で当時の価値観の結果を判断するのは正当とは思えない。あるのなら直近の世界大戦における勝者と敗者としての政治利用でしかない、などと一人黙々と暗く暗く一冊の本と格闘していると、そんな妄想にとりつかれた。
 今週の金曜日までに2つ目のレポート完成を目指す。

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