北海道の旅(後編):そして東京

 その屈斜路湖YHのサブペアレント、なんで「13バイ」というかと言うと、より若い時、飯を13杯もおかわりしたところから命名らしい・・なるほど。
 私だってYHの飯は10杯までだった。

 つまり、わが家が嫌い、というのではなく、旅に出たら食費をけづってまでも長くそこにいたい、というのが変な時期に旅をしている人たちの共通項だった。
 朝飯にガツガツ詰め込んで昼を抜いて夜の夕飯にまたガツガツ・・と言いながら夜の酒には糸目がないところに矛盾があるのが当時の私たち若者感覚。

 その13バイから1979年の3月頃、珍しく6000円四畳半アパートに電話があった。もちろん大家さん経由の呼び出し。
 「ケン坊、元気?近々屈斜路に来ることない?」
 「うーん、時間はあるけど金ないから夏辺りに行くのはどお?」
 「いや、そーじゃなくってもっと早く来られない?」
 「え、どういう意味?」
 「ここのサブヘルパーやめて上京して就職しようと思うんだ」
 「あ、いいんじゃないですか!で、それと私が北海道に行くのとどういう関係が?」
 「いや、車で来てくれると荷物も一緒に運べてさー」
 「わおー、車ででっすかぁ?!」
 「往復のガソリン代払うからどお?」
 「青函(野辺地からだけど)も含まれますよねー」
 「OK~OK~、宜しく。来月のGW辺りだと嬉しい」
 「へい、がってん~・・GW終わってから行きマスでしゅ~」

 今思うと、この会話には高速代には言及されていないのだよね。
 っつーか、高速ってお金持ちの「大人」が乗るものと思っていたから、当時は気にならず、ひたすら4号線北上~。

 平成のスコスコマン、大久保清と同じマツダのファミリで越谷蒲生を夜中の1時に出発。
 さすがに明け方の仙台周辺は通勤ラッシュだったのでここだけ高速に乗った。
 岩手県って静岡県と同じ広いんだねぇ、アクセル踏んでも踏んでも岩手県だった。
 5月下旬なんて誰も宿泊客なんていないから噂を聞きつけた常連が数人集まる。何故か関西系が多かった。情が厚いのかねぇ。

 最終夜がみんなベロベロに飲みまくって、明け方まで元気だったのは私とヘルパーの兵庫県出身の愛称ブーちゃん。
 「最後だから湖畔に行って日の出と一緒に写真でも撮ろうか」
 「ねぇねぇ、どうせなら恋人っぽく撮ろうよ」
 もちろん何も期待する行為はなく、そう思わせるようなカットが撮れただけ。

 屈斜路湖YHの隣にはもともとのペアレント(オーナー)が経営する屈斜路湖ホテルがあり、温泉が無限に出ている。
 そこの温泉ホースでマイカー、マツダファミリアをピカピカに洗車して出発したのに函館に着いたら、真っ白な車に様変わり。
 荷物が少ない、と言っていたけど、車に積めばそれなりにかさばり、後部座席は荷物で埋まり仮眠的リクライニングができない。ルーフには「13バイ、こんなの捨てなよ、東京で売っているよ!」というようなファンシーボックスも積んであって、どっからみても夜逃げモードだ。

 金がない、と言っていたのに「ケン坊、どうせなら奥入瀬に寄ってこうよ」。
 渓流は低速シャッターで撮ると良い、なんてカメラ雑誌に記されていたので三脚でその通りにしたら人物がブレていた。うーん。

 そのまま我が蒲生御殿(四畳半アパート)に2週間ぐらい共同生活をしながら13バイは就活し、中堅旅行会社に就職が決まり、新たにアパートを探したのが、近くの竹の塚。
 その後社内恋愛でマスオさん風に横浜に転居。
 今は年賀状の挨拶ぐらいで関係が続いている。 

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