「空」と写真表現

『空の理論』

『空の理論』

 佛大教養講座だけど、9月上旬に出した3つ目のレポートが全然返ってこない中、1ヶ月半ぐらいかかってやっと4つ目の課題テキスト『空の理論』を読み終わった。それも最初の1回目。角川ソフィア文庫から出ている350ページぐらいの文庫本。
 「空」はブッダの頃からあったけど、あまり詳細解説がないままのところに、大乗仏教の龍樹という人がそれを論理的にまとめて『中論』を著して「空」は大乗仏教の基本となった、とあった。三部構成のこの本の一部は2/3を占め、内容はすべて当時のバトルが記してあったので良く分からない。
 多種宗派思想等が百科騒乱風の当時のインドにあって、まず龍樹はあっちこっちの思想哲学の文字説明に対して突っ込みを入れまくる。そして本では、これはその『中論』の×章△項目に述べらていて、▲□×だから、△×○になるのが空である、とあり、あれ、どっかで聞いたことがある。キリスト教の聖書だ。これも何かがあると、ヨハネ▲□×章の△×○条にてイエスが言ったことに当てはまる、などetc。
 その龍樹等のバトルは、弁証法など哲学用語満載で果てはカントやソクラテス、アリストテレスなども出てきて、今なんの勉強しているんだ、になりレポートの3000字、埋まんのか、になる。

 課題は「空」についてのみなので、この場合はバトルにたくさん接しても直線的な意味はない。70ページぐらいの二部になると共著のお二人が対談形式にて『中論』を通して空を語っていて、この辺から拾ってゆけるかな、と思った。同じく70ページぐらいの三部では主編の著者が同じく『中論』を通して自分なりの「空」を述べていて、なーんだ、最初に二部と三部を読んでから最後に補足的に一部を読めば良いことが一通り読んで分かった。

 昔からあちらこちらでちょこちょこ見かけた「色即是空」、これは大乗仏教から生まれた言葉だというのが分かった。「色」は例のエッチ系ではなく、人間が五感等によって知覚した共通認識である言語等に置き換えて認識する事柄事象のこと。

 以前、写真表現中村教室という私塾風写真学校で非常勤講師をしていて、その代表は私の写真の師匠である。同じ被写体であったとしても、その時の自分と被写体はその一瞬で、その一瞬としての「眼」で見据えることの重要で、普遍的な常識視点概念では見てなならないことを説いていた。
 おっと、「空」と類似しているではないかい。
 とにかくその理論等を頭に入れるも、結果として実践の中においてのみその理論を体得するとういのは、写真(おそらく芸術一般)と仏教は似ているかもしれない。

 結局、「空」は最初のブッダの教えを真摯に復興したカタチになった、と見受けられた。そして、その「空」自体はブッダの「縁起」を再演している、というのがたった一冊だけどのこの本から分かった。

 写真表現って、ブッダの「縁起」に所以するかもね~。

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