8月上旬からお盆までドコ~ンと連続14日間の夏季スクーリングがある。
私は冬期スクーリングに分散するけど、のべ8日間、根性で通うことになった。というのは、来年4月から佛教大学構内全面禁煙となるので、その前にスクーリングを総て取っておこう、というやつ。
ところで、先日、精神的に清水の舞台から飛び降りた気分でヤフオクゲットした大漢和辞典、使い方を良く良く分からないうちに本棚の肥しならず、本棚の漬物石にでもなるのだろうと思っていたら、そのスクーリングで受ける5課目のうち3課目が古典と近代で、「予習として地名や人名などをあらかじめ調べておいてください」なんて記されていた。
当然、私の持っている講談社の漢和辞典「漢辞海」では間に合わなくなり、偶然だけど大漢和買っておいて良かった。
例えば、中国の思想か、孔子だけど、孔子とは尊称、名は孔、諱(いみな)は丘、字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)だけど、いきなり、仲尼としか記されていなくて「誰?」というのなら、まだ良い方でたいてい、これは地名かな、と解釈してしまう。
諱は、生前の名前(なんだそれ?)で死んでから付けられる戒名みたいなもので、名前の「孔」を呼んで良いのは両親など身近な目上の物だけで、通常、あだ名みたいな字で言うらしく、これを間違えると大変だったみたい。
私達が学ぶのは当然、名前だけど、記されているのは当然、字なので、これ誰?みたいなのばっか。
「あざなってどういう意味ですか?」と地元の中国語の先生が聞いたので、この形式は中国古代でのことのようだ。
四角号嗎で調べるのだけど、1/3ぐらいしかヒットしない。
残り1/3は、ちょこっと番号を変更してヒット。もう残りの1/3は、全然NGで、総画数で調べる。
自分のレベルを省みないで言うと、総画数で調べるのはどことなく自分の無知を強調されるようで抵抗がある。
と思ったら、11巻辺りに、おまけ的な部首索引のプラシートが挟まってあった。さすがに四角号嗎だけでは難しさがあるのだろう、出版元の大修館書院と記されていた。
それでもなるべく四角号嗎でと根性で調べてはNGの連続・・こういうのを本末転倒と言う。要は該当する漢字を見つけられれば良いのだから。
最悪はその部首索引を使うようにしているが、部首もなかなか分からないのがある。聞・中・去・乙・必など、一瞬何処が部首?なんてぇのもあって、義務教育にてちゃんと勉強しとけば良かったなぁ、とつくづく思う今日この頃。
それでも便利なのは、手書き付きの電子辞書の漢和辞典。ちゃーんと部首も教えてくれる。すげー。
ところで、電子辞書のシェアは、おそらくカシオがダントツだと思うけど、少しでもつっこんだ使い方をしてくると、キャノンの方が優れているのではと思うことしばしば。
写真のように取り敢えず並べてはみたものの、これはその半分、残り半分の6冊はいまだ床の上。今だ置き場所定まらず。
近い将来、それほど使わなくなるだろう大漢和だけど、来春までそれなりに使うことになったので1万円は元を取ったと思いたい。
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