ある日のこと

 311地震の後に、すぐにGoogleが、Person Finder (消息情報): 2011 東日本大震災(http://japan.person-finder.appspot.com/) というのを作ったのは凄いと思った。
 石巻に一人知り合いがいたので、ここの情報を載せたら、数週間後に誰かから無事中学校の体育館に避難されている、との情報を貰った。
 石巻出張時にはたいてい立ち寄っていた居酒屋「まんまる亭」のマスターとママさんだ。

 そして昨日土曜日、朝早くからクロネコヤマト。眠いぞ。
 荷物を見たら笹カマで、差出人はあのマスターからだ!よーくわが家の住所が分かったなぁ、家ごと流されてしまったのに・・。
 手紙が入っていて、7ヶ月に及ぶ避難所での生活を終えてやっと仮説住宅に入居できた、とのこと。良かったねぇ~。
 その住所を見たら、あれ?また旧北上川の川沿いだ。
 いくぶん奥まった蛇行している川沿いで、ここなら同じような津波が来ても1mぐらいだろう。

 携帯番号が記してあったけど、何回も電話しても出ないので仕事に出かけた。
 その間に電話がありカミさんが応対。お初なのにマスターとママさんと交互にお話ししたみたい。
 でも必ず「こちらからかけますから~」と何度も言っていたらしいので、仮設住宅での電話事情はまだ通常ではないようだ。
 
 以下、カミさんから聞いた要約。
 のんだくれのマスターと思っていたけど、常に地震と津波のシミュレーションをしていたようで防災グッツなどもちゃんと常備していたそうだ。
 で、マスターの頭の中では地震の10分後に津波が来ると思っていたようだ。
 近所の人たちを促して川向こうの丘に登ったそうだ。今回予想外な大きな津波だったけど到着まで20分あったので、ちゃんと準備ができていて逃げようとしていた人達の生存率は高かったのではないかと言っていた。
 
 家は全て流されたと言っていた。
 それはそうだ。河口近くの中洲(地名は中瀬)だもの。唯一、石ノ森章太郎記念館が残ったのは新築だからでは?
 マスターはその記念館の横のハイツに住んでいた。
 お店「まんまる亭」は避難した丘の麓辺りの繁華街にあり、手紙では津波の高さが2m30cm・・すげー、想像付かないなぁ。
 社交辞令にて「今度、仮設住宅に泊まりに来てください」と記してあったので、一度行ってみようかしらん。
 何十回も行った石巻だけどプライベートではまだ一度も行ったことがない。いいね・・でも、仙石線開通しているのかしらん~?
 
 カミさんが「被災者から物をもらっちゃったねぇ・・」
 そうだよなぁ、逆だよね。
 取り急ぎ、昔町並みを6×9でスナップしたのがあったので、それをスキャン → プリントして送ってあげよう。
 
 笹カマは、わが家では一般家庭のカニとかウニに匹敵するぐらい大争奪戦が始まり、袋にマジックで「とーちゃんのだ!」とか記さないとすぐ喰われてしまう。
 製造を見たら石巻市になっていて、やっと漁とか加工業が再開したんだな、と思った。
 鈴廣のカマボコと同様、プリッとした噛み応えのある笹カマは美味い!

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