Monthly Archives: 6月 2021

花粉症と中禅寺湖の幻の石

 思えばやっとここまで来たな、というのは、フィルムスキャンのための25箱ぐらいあった最後の1箱に入ったからだ。
 1982年の写真学校2年目の時で、大阪の高槻に友達がいたのでGWを利用して5日間ぐらい来阪したのは記憶にあったのだが、京都へも足を運んだのは忘れていた。
 京阪だったかな、まだ土手を走っていたころで、観光客からすれば絵になった。四条河原町の橋から鴨川の下流を撮ったのではないかと思う。
 帰りの京都駅と新幹線も懐かしい。新幹線は2代目?ぐらい。
 
 で、これらの写真ではっきり思い出したのは、その前年1981年の写真学校1年生時に、花粉症になったことだ。
 だいたい3月から始まり5月下旬ぐらいに治まるが、当然そういう症状の人は少なく、ちょろちょろ見始めたぐらいだったので花粉症という名称はなく、とってつけたような「春風邪病」と称されていた。
 で、その翌年のこの1982年も同様にひどかったのだが、このGWに来阪した時だけぴったり治まり、当時の関西の友達からは「なんやそれ?知らんがなぁ」と言われまくり、春風邪病って関東だけ発症するものと思っていた。果たして大阪から戻ればぴったり東京駅で鼻がムズムズ・・・。
 
 その翌年の1983年、何故か症状と発症回数が微妙に軽減したところで旧友から、日光の中禅寺湖の湖底に眠る幻の石(単なる沈殿したコークス?)があって、これを煎じて飲むと良いぞ、などと加持祈祷の一種のようなモノを勧められた。
 気軽にそれで遊んでみようと、家にあった南部鉄のヤカンにそれを入れて煮出し、冷めたのを常飲していた。翌年の1984年の春、殆ど発症せず完治に等しくなって現在に至る。
 ほんとかよ、この「幻の石」。

 最初から花粉症にはならないのは異星人的なので置いといて、もともと何かのアレルギーから花粉症になった私だけど、それが殆ど治ったところでは、是非花粉症に悩まされている人にその解決法を教えてあげたいと思っていた。が、その一つが、この石?!飲み屋でのネタとしては面白いけど。
 確かに、1983年には中禅寺湖前の土産屋にてそれらしきモノが売っているのを見たことがある(備長炭とかではない)。しかし、後年仕事で訪れた時にはそれらは見当たらなかったし、近年ネットで探してもないようだ。ほんとうにマボロシだったのか。

 数年前に、台湾にて北投石(なんちゃってだけど)をいろいろ買った時には、流ちょうな日本語を喋る台湾おばちゃんが「花粉症にも効きますよー」と言っていた。ほんとかよ?

日本写真学園の文化祭

 その日本写真学園に入学した時には、新歓撮影会と称して、神奈川県横須賀にある無人島の猿島へ連れていってもらった。
 イメージからの専門学校はもっとビジネスライク的にシンプルかと思っていたら、前述の学園祭もやったりと、とてもアットホームで親切な学校だった。

 神奈川県民ならたいてい知っているだろう猿島は、横須賀から船で15分ぐらいで、着いてみれば対岸の横須賀市街が見える距離。埼玉県民か私だけか、三浦半島は伊豆半島よりも交通のアクセスからしてとても遠い位置にあるので、初めて知った猿島。
 上陸する時には番号札を渡されてまた戻る時にそれを渡すという人数チェックがあった。
 そこで屋外ヌード撮影会をするのでインパクトも煩悩もレッドゾーンだ。
 他の観光客がいるので、先生や先輩が道の前後で見張りをしてくれて、「人が着ました~」の声でモデルにコートとかをかけながら撮影を続ける。
 当然、ヘアーは御禁制なので手で隠していたりするのだが、「ポーズを変えましょうか」という先生の声でその手をズラした瞬間に、全員、本能的にモードラでのシャッターを押しまくり、その周辺の山肌に響き渡るすさまじさに、おおっ・・・一瞬たじろいだ。← キョンキョンや森高クラスのアイドルの記者会見のモードラ音量と同じ。

 秋の学園祭は、高校や大学と同様、何かのグループとして何かやる?で、基礎科はスタジオを借りてヌード撮影会を企画した。かの先輩達は、3Fテラスにてビアガーデン、他の先輩達は、占い付き喫茶模擬店・・・占いって?
 「ちゃんとしたヌード撮影なのでお願い~!」と、ある女友達を口説き、撮影指導を担当の先生にお願いし、「済みません~、込み込み10,000円でお願いしま~す」と、その先生とモデルに頭を下げた。←アシが出たら基礎科全員でその穴を割り勘で埋めると。
 撮り放題にして、経費だけは還元のため@1,000円にしたのが間違ったのか、猿島にてあんなにモードラ押しまくっていたのに、在学園でのヌード撮影にはビビッってしまったのかじぇんじぇん申し込みなし。
 意味なくあっちこっちに参入して飲むというのは良いもんで、同期だけど年下の本科の学生に、「借りで、同期誘って参加してくれないかなぁ。今度飲む時には舟盛りゴッチするからさ(割り勘だけど)」、先輩には「今度飲む時にはカレシのいない女の子を呼びますので、参加してくれませんか」などと声をかけ、最後は、チラシ作って、有志基礎科有志の連中と一緒に新宿ヨドバシの前でそのビラを配った。
 結果的には、のべ35名ぐらいとなり、浮いた分は、そのモデル&担当の先生と一緒の近所の飲み屋での打ち上げのタシに消えたとな。

断裁本

 この辺をやっている人から見れば嘲笑モンかと思うけど、私のレベルなんてこんなもんだ。
 いろいろな関連サイトを参照に、ちょこちょこやってみたら運良く稼働して今に至る自宅サーバーであ~る。
 MacOS/Big Surにてcgiが従来通りに動かなくなったのは、Apacheのバージョンが、2,2 → 2.4になったからというのが分かり、改めて、サーバー構築自体の初心者向け概略を得ようと、かような本を2冊ゲットした。
 新品だと共に2,500円オーバーなので、中古を探したら、それぞれ半額以下の1,000円ぐらいのがあった。
 届いたLinuxの方は綴がなくなって断裁されてバラバラだった。不良品かと思ってよく見たら「断裁本」とあったのを見落としていた。
 何それ?と調べてみたら、どうやら各ページをスキャン → PDF → 電子書籍にするためのモノで、その作業を隠語で「自炊」というらしい。
 あくまでも自分用として使う分には問題がないのだが、それが面倒で代用してくれる業者が現れ、かつ、その業者が著作権侵害で訴えられて廃業の憂き目にあっているみたいだ。
 
 電子書籍ってなにが何でも紙媒体のよりも優位なのだろうか。こういう参考書的なものはあっちこっちランダム的に読み返ししたりするので、電子書籍の「しおり」ではとっても遅くて面倒と思うのは、やはり年齢からか。

 仕方がないから、簡易製本をした。
 束ねて留めて、ミニノコギリで断面に沢山の溝を掘り、上から木工用ボンドを何回か上塗りする。乾燥したらサンドペーパーをかけて平らにし、カバーかぶせて上から背表紙にアイロンを当てて仕上げる。
 簡易だから良質のコシのある紙だと、思いっきりページを開いたら永遠のご開帳になってしまうので注意が必要だ。プロだと木工用ボンドなどを使わず、乾燥しても弾性が残る専用ボンドなどを使うのだろう。
 こっち系のファイルや書類の管理に対してマニアックさを発揮する性格向きの自宅簡易製本方法かも。
 6,000円ぐらいの簡易製本機もあってその評価を見ると、しっかり付かないとかもあって、これならこの手製の方がまだ良いかな。

40年前の日本写真学園

 その日本写真学園基礎科の時のネガには、一部カールしたのもあったが以降は今のところ見当たらず酢酸や定着の香りもなくなった。その替わりにカビ臭いネガが続くようになったので線香が欠かせなくなった。
 日本写真学園に入って良かったことの一つに学泉祭があった。
 カビ臭い中でその学園祭のネガをスキャンしていて、何故、かのマキちゃんのアップの写真を大伸ばしにしたのかがやっと分かった。写真学校なので老化、じゃなかった廊下にもいろいろ写真で飾り付けをしようというところだったようだ。
 「ナカジマのこれ、大伸ばししようぜ」とか言われ、先生の指導のもとにチャレンジしたのを、これまた思い出した。選んだ理由は、焼き込みなど手をあまり入れなくても良いカットだったからだと思う。写真は、過去の記憶への呼び鈴の一つなのかもしれない。

 90年代半ばぐらいまでかな、ロール印画紙がヨドバシとかでも普通に売っていた。
 幅は90cmと120cmぐらいの2種で、長さも数メートルとかで、価格は10,000円~16,000円ぐらい、だったかな。
 この大伸ばしのポイントは、バットの長さにある。
 プロラボとかだと専用特注のを使うのだが、その時は暗室にある全紙用バットの対角線の長さに合わせた。つまり伸ばす短辺をそれに合わせるので、60cm×90cmぐらいにロール印画紙をカットした。
 露光は壁面ではなく、ヘッドを180度回転させ、台からガムテープで留めた印画紙のある床へ投影する。1m超えたピント合わせって、今でも良く分からない。映画『スターウォーズ』のフォースの力が求められる。

 問題は現像工程で、斜めに入れながら手で丸めてバットに浸し、時間内それを繰り返す。
 印画紙の両端を両手で持って、シーソーのように繰り返す方法もあるのだが、これはちゃんと均等に行わないと印画紙中央部が現像過度となり、要熟練。丸める方法がまだムラがないので楽とも言える。
 これを、現像 → 停止 → 定着 → 水洗まで続ける。
 が、さすがに学園祭開催期間中に保てば良いというところから水洗は、バライタ印画紙だったけど、QW+30分でゴメンナサイしてもらった。
 学園終了後、それを持って帰り大喫煙の自室に貼って家を取り壊す12年後ぐらいまでそのままだったけど変色などはまったくなかった。バライタ+30分水洗 → 10年は保つ、と言えるかも。
 乾燥は、学園のその辺の壁にガムテープで貼り付けて、乾燥したら余分な周辺をカットして当日展示。
 後年、禁断的なそのロールを使った短辺120cmの特大大伸ばしをしたのだけど、機会があれば後日オマヌケチャレンジとして疲労的に披露したい。

 「ナカジマ~の写真、デケーからギャラリー喫茶模擬店じゃなくて、階段とかの壁に貼っとくのが良いよ~」とか、先生に言われた。写真右奥のは全紙プリント。
 階段だと塗装が剝がれるから、鉄製の防炎扉に・・・その隣に呼び込みポスターとして「3Fテラス ビアガーデン」がある。二つ上の特別研究科の先輩達の模擬店だが、その対比がシュールだ。
 「学園祭中、一番デカい写真がマキちゃんのだから来て飲まない?」とマキちゃんに電話して、作品と一緒にパシャリ。
 そして、その先輩達のビアガーデンへ行き、いつものようにオダを上げクダを巻いて記憶は彼方へ・・・何故か飯田橋地下通路をビアガーデンの先輩と仲良さげに歩いているのをネガに発見した。私はキューピットだったのか?

ビネガーシンドロームって大変

 先日、写真の友人が教えてくれたビネガーシンドロームについてのURLと、そのサイト、

「写真フィルムの保存」
https://photo-archive.jp/web/wp-content/uploads/2019/04/Film-storage-leaflet.pdf

 本写真保存センター:http://photo-archive.jp/

 を参照すれば、

 1970年(50年前)辺りのネガをシートから取り出した時点で酢酸の香りが放出し、スキャナーやMacの周辺にまとわりつくように臭いまくっていたので、確かにビネガーシンドロームが始まる初期段階のネガだったと言える。
 その後、ネガ年度が下るにつれてその香りは弱くなり1975年(45年前)の以降では皆無となった。

 フィルムスキャナーを始めたのは諸般の事情で、1982年(39年前)の半ば、かの日本写真学園の2年生、専攻科の夏からで、そのまま最後の2014年のまでスキャンした。
 そして、戻って最初の1968年のから始め、現在残りネガケース3箱目の1981年(40年前)、1年生の基礎科の時のをやっている。
 で、その1981年の10本ぐらいのネガだけが、最初からそれなりにカールしていた。
 透明アクリル板のおかげで問題なく平面をキープしながらスキャンできたが、この前後には今のところこのようなネガは見かけておらず、何故この10本のだけが、というのが分からない。単に急速乾燥させたからか。
 もっとも普通のカールしたフィルムでも、ガラスキャリアを使えば印画紙にプリントすることはできる。

 上記のURLでは、ビネガーシンドロームに対する有効な対処法として、日本写真保存センターでの方法が紹介されているが一般家庭向きとは言えない。
 あるとすれば、なるべくその進行を遅くして長持ちさせるぐらいなので、元気なうちにプリントとして残す、とも記されていた。
 これだと、ネガの全カットをプリントするのか?になるが、このように記さざるを得ない、または、このように記すだけで今の段階では限度、とも言え、そのセンターの探求への気苦労を察した。

 素人っぽいネガのデジタル化なんてせずに、何も気にせずそのままにするのでも良かった、と思うようになった。← 今更、途中で何を言う?