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とら食堂 2 - 1

 親父の実家が福島県の白河だったので、小学生の頃は、休みになると長期間、親に連れていってもらった。
 日本の高度経済成長期、東京オリンピックのあった頃だ。私の住む浦和も都会化していった時に、決して浦和では見られないモノがたくさんあったのが親父の田舎だ。
 子供にとっては何よりも冒険の場所であった近所の「秘密基地」なんぞは、赤ちゃんのおしゃぶりにも見えてしまうくらいの魅力にあふれていた。

 それまで川とか湖、池などは総てが濁っているモノと思っていたのが、こちらに来てみれば、どれも透明で澄んでいる。
 田んぼを歩けば、蛭(ヒル)もいれば、鯉もどじょうも鮒もいて、みんな天然なのだ。イナゴはそのまま煮てバリバリとカルシウム摂取。
 そして、ハチが襲ってくれば、逃げるのではなく地面に顔を伏せて腹ばいになり、ハチが飛び去るまで待て、イボカエルの棲む湧き水は飲んでも大丈夫だ、この葉っぱはウルシだから触るな、アリ地獄の捕まえ方はこうだ、などなど、キッズサバイバルを伝授してくれたのが、ちょうど実家の裏に住んでいた、3つ年上の竹井くんだった。

若き日のとらさん
  兄のように慕い、毎日のように竹井くんの家に遊びに行った。
 父親の経営する「とらや」食堂があり、家族はその2階に住んでいた。父親の名前から屋号を付けたと言っていたから「竹井寅太郎」、「竹井虎次郎」とかかな。
 2階に上がってびっくり、なんと部屋中、養蚕(ようさん)のカゴだらけだった。若い人は見たことがないと思うけど、養蚕、つまり蚕(カイコ)を飼い、その繭から絹の糸を作る家内制手工業だ。
 結構な収入になったとか云々は後年知ったことで、絹自体が良く分かっていないボッキ〜中島少年にとっては、餌の桑の葉とそれに群がる白い無毛の蚕が部屋中に埋まっている光景に、興味ポイントは最高潮に達した。今まで室内での作業というのは、内職のチューブの蓋付けとか袋貼りの内職しか見たことなかったからだ。
 おかげで「絹ができるまで」を実体験で学んだけど、これを夏休みの理科の宿題にしとけば良かったな、と後のカーニバル。

 その部屋の壁には家族の戦死者の遺影が幾つか掛けてあった。
 父親のとらさんの兄弟だろうか、空母「加賀」に乗っていたんだと、竹井くんが言っていたのが今でも印象的。とらさんは正しい東北人気質で、いつも飲んでいた。当時将棋が好きだったボッキ〜中島少年は、よくとらさんに相手してもらったけど一回ぐらいしか勝ったことがなかった(勝たせてもらったのだろう)。

カネボウフーズ 田舎に行く度に竹井くんと遊んでいたけど、お互い中学に入りいろいろ忙しくなってくると、田舎への足も途絶えがちになった。そして竹井くんとも疎遠になったまま、この歳になってしまった。
 後年、そのとらさんも亡くなり、竹井くんが店を継ぎ、ラーメンブームと重なって大繁盛で行列ができるほど有名になった、と親戚のおじさんから聞いた。
 白河と言っても市街地ではなく、棚倉方面へ数キロ行った「双石(くらべいし)」という集落にあるのだから行くのも大変じゃないかと思う。
 それだけ美味いんだろうな。そのうち、子供と一緒に遊びに行き、竹井くんとも会いたいな、なんて思っていたら、あれま、その竹井くんところのラーメンがカップラーメンとなってコンビニで売っていた。
 名前も「とら食堂」。福島白河、チャーシュー麺と追記してある。

 カップラーメンでの味は、広東風ラーメンと東京ラーメンの中間ぐらいで、どちらかというと、さらっとした感じの中にしっとりさがある風味。
 「カップヌードル」を最初に食べたボッキ〜中島少年の保守的性格からすれば、中の上ぐらいの美味さだ。ドライにしろ、チャーシューが3枚も入っているのは太っ腹。
 蓋を見たら、あの竹井くんが写っていた。懐かし〜、ちょっと痩せたかな。もう35年くらい会っていない。
 うんうん「とらラーメン」とかじゃなくて「とら食堂」と昔のままだ。「店主 竹井和之 監修」と記してあって、なんか自分のように嬉しいぞ。
 製造は、あの化粧品で有名な「kanebo」。

 ところで、白河と言えば、昔から蕎麦が有名だ。
 痩せた土地だから蕎麦しか育たないからか?だけど、ここ福島は米にしろ農産物の宝庫なのに、何故にして蕎麦が有名に?
 江戸時代の五街道の一つが白河。伊達藩の笹蒲鉾の村おこしではないけど、白河藩主が蕎麦が好きだったからかな、と勝手に推測。
 その蕎麦にうるさい白河人が認めた「とら食堂」の中華そば、やっぱ美味いんだろうなぁ。

* パッケージ掲載承認済:カネボウフーズ 2004.5
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