カツ丼

時として朝イチから無性に「○×が喰いてぇ」という衝動にかられるが、おそらく溜まったストレスを無意識に回避しようとする脳からのシグナルの一つかと思う。
で、今回はカツ丼。それもちゃんとした蕎麦屋のを、と軽量な脳が欲していた。

混むのが嫌なのでいつものように開店の11時過ぎに入れば、似たような孤独風な老人客も少し入ってきて、みんな「ビールと○×△」。
いいなぁ、昼にビールは美味いんだよなあぁ、連れションならぬ連れビールか、と思うも、昼に飲んだら「午後はないさ」になるので、グッと我慢して「お茶ちょうだい」になる。

私の知る限り、蕎麦屋のおやじって無口が多く、店を切り盛りするおばちゃんは愛嬌と愛想があるのが多いのが不思議だ。
そんなおばちゃんと「この新香、いいね、たくあんが光っている」などと言いながら、お望みのカツ丼を食べたとさ。

因に、関東の一部のエリアではファーストフード的な「かつ屋」というカツ丼ショップがあって、美味くて人気があり時々行くが、このかつ屋や富士そばなどのは玉子を1つ使い、蕎麦屋のは2つなので、微妙に食感が違う。

何分の粥だろうか

既述かもしれないが、粥が好きな割には、五分粥とか七分粥の違いが分からない。
調べたことが一度あるが、結局それで米自体がどうゆう柔らかさになるのかがピンと来なかったのでそのまま。
動物の擦り込みじゃないけど、20回強の訪台と4回の訪中での粥が全て写真のような感じだったのと、食感が合っていたので、私の中では「正しい粥」になっている。正しくない粥も気にならないけど、あらかじめ味付けしてある香港流粥はあまり合わないのは、「日本人は白米」という意識があるからだろうか。

3,000円ぐらいの骨壷スタイルの粥専用釜じゃ、こまかい調整はできず時間も米の量に不変なので、要は水温であることに気付いた。
今の首都圏の水温は数度~10度ぐらい。夏場は25度ぐらい。
これで同じ粥ができる筈はない、というのに数年前に気付いたが、私が思う正しくない粥がまずい訳ではないので、夏場はおやじじゃなかった、おじや風粥として楽しく食している。

医者からは、老齢からの血糖値が高いので、食事は炭水化物やカロリーに注意してね、量より質だよ、と言われたので、炭水化物の粥も0.5合にしている。飲酒時だけボーダーフリーになるが。

自宅籠りでのブランチ粥の他は部屋で読書となるが、暖房の効いた部屋にあつまる2匹の猫においては、やや猫ハビーにかまわれて迫害気味となる猫パコは写真のように腕枕を求めてくる。
喫煙タイム以外はこの状態だが、書籍の備忘録メモをするためにキーボードを打ち込む時があり、その都度上腕筋がビブラートするのだが、時として「動くんじゃねーよっ、ゆっくりできねーじゃねーかっ」と猫パコが腕をガブッ。甘噛みだけど成猫だから仔猫の猫ハビどころじゃない。
併せて仔猫だけどマジ噛みする猫ハビーのと合わせて、現在の拙上腕筋から手の甲にかけては、デューク東郷の背中のようになっている。

エビ汁

最近の中島家の電子レンジは、肉まん専用になった感があるのは、寒くなって来たからでしょう。
たいてい、寝起きで食欲のない私と、慌ただしい出勤前の娘がよくチンをしている。←ここでは下ネタへは流れない。
「蓬莱」も美味いのだけど、私にとってはデカいのと味が上品なところがあるので、より庶民的なコンビニサイズの肉まんにフィット感がある。
袋ごとそのまま電子レンジに入れられるのが横着な私には、いと素晴らしきなり~。

先日だけど、夕食前なのにエビの握りが食べたくなったと言って、カミさんが買ってきてのはデカいボタンエビの握り4個パック。
頭と尻尾は食べないで残すのだが、これでエビ汁を作った(作ってもらった)が、久しぶりに美味かった。中身よりこっちの方がグーッ。

TOLOTのカレンダー

お洒落な「TOLOT」が早くも届いた。
入れ物も白地TOLOTと記された緑の硬め防水ビニール袋に入っていて、Apple製品同様に、取り出し時からワクワク感をちゃんと演出してくれている。
これ500円なんだよね、なんか申し訳なくてもうちっと買うか、になったりもする。
食卓に広げて撮っているとご当人ならずご当猫が登場。
去勢したら食欲が増し、当社比としてデカくなったので、カレンダーに登場するのは今よりも小さい生後3ヶ月までの写真を選んだ。

仔猫のなのでかまって欲しい気持ち一杯で、猫パコに飛びかかることしばしだったが、私の部屋ではそれをやらなくなった。スリッパで叩いて調教~したからだ。
飛びかからなければ良い、というのを少し学習したのか、半年後の日常光景を願うようなツーショットが撮れたのは嬉しい。
スキャナーとプリンターの上で寝そべっているのはどーなのよ、だけど。 

奄美大島の鶏飯

家族からの土産の「鶏飯(けいはん)」を食した。
ゆがいた鶏肉や錦糸タマゴ、具材も入っているフルコース的なセットである。
いわゆる南国諸島の鳥茶漬けで、さっぱりしていて美味い。
南国なので沖縄料理同様に薄味の中に素材の風味を味わう感じで、20年前に食した味を思い出した。友人をして「二日酔いのは最高」と言わしめたのは至言とも言える。

しかし、現地で食べたのと比べると、何処かしらイマイチ感があるのは、こういうセット食品の宿命だったりするが、それなら奄美に来て喰えっ!というのが聞こえてきそうだ。

20年前にたまたまどっかの飯屋で喰って、すげー感動し、あまりの美味フィット感にて帰りの奄美空港のレストランでも頼んだ。
県が違うのか、沖縄にはないような気がする(あんのかな?)。同じ鹿児島県の与論島とかにはありそう。
汁と言おうかスープに近い茶漬け風のこの鶏飯だけど、牛丼ぐらいの汁をかけた感じの台湾の「鶏肉飯(じーろーふぁん)」にそのルーツがあるのでは?と思って「鶏飯」でググッってみれば、江戸時代に薩摩藩に版図された奄美大島のオリジナルみたいで、ルーツは南下しなかったようだ。

キスの天ぷらが食べたい

中華料理は偉大だよ(そお?)。
無性に食べたくなって、いつもの中国人コックの中華屋へ開店直後に行った。
ナスとバラ肉炒めの定食だったが、ご飯が少しジャー臭かった。
社会人的マナーはあまり持ち合わせていないのだが、外に出たらこういうのは気にしないようにしている、昔から。
嫌いなブロッコリーやカリフラワーが添え物として出ても、根性で食べる。それだけ残したら、みっともない感じがするからだ。

牛丼屋の朝定も、たいてい8時前に行くと、こういうジャー臭い時がたまにある。
いずれも昨夜の残りだな、というやつ。
逆に言えば、朝イチで炊いたのが出てくる時もあり、前者は「ハズしたけど、今日の悪運はこれで祓った」と信じるようにし、後者は「ビンゴ~、朝からラッキー」と思うようにしている。←これだけでも、その日のハッピー感が2ポイントぐらい上がる。←信じるものは救われる。

閑話休題
仕事じゃなければ、引き篭もりなので、ネタは喰いもんか猫かマニアックな趣味に終始するのが自称オタクの私かも。
ここ最近の中島家の天ぷらは、衣に味を付けているのが定番になっている。味と言っても、おそらく塩と麺つゆとかだと思うけど、そのまま面倒なく喰えるのが飲ん兵衛好みかも。

平均的にてんぷらと言えば、天丼とか天ぷらそばとかになるけど、たまたま20代半ばから神保町界隈に数年たむろしていたので、「いもや」の天ぷら定食が「キッチン南海」が常食になっていたので、天ぷらはより身近に感じていたりもする。
後年「てん屋」でできてパラダイスだったが、天ぷらのキングは「キス」ではないかと思う。
カミさんに聞くと、キスはスーパーでもたまにしか売っていないそうだ。それこそ寿司屋とかで聞く「今日は珍しい良い○×が入りました」とかいうのと似ているかも。

MontereyにPHP

諦めていたMacOSX 12(Monterey)+PHP が、予想外にハマりなく構築できてとても嬉しい。
リリースしたばかりの昨年の今ごろでは、PHPがバンドルされなくなったMontereyにhttpdとphpをインストールする情報が幾つかサイトには出ていたが、先陣を切ったオーソリティばかりだったので、専門用語ばかりで素人には良く分からないところから諦めていた。
1年経って改めてググッってみると、いろいろな方が親切丁寧にその方法を紹介してくれていて、これなら私のような素人でもできんじゃね、と思い込むようになってサブのMacProでトライしてみた。
Montereyの起動USBメモリーを作成し、Montereyにアップデートする。これだけで2時間。
そして「ターミナル」からHomeBrewというのをインストールして、次にphp、httpdとやって、自分用のパスなどを打ち込んだりして2時間、念願のMontereyのローカルホストにphpinfoを表示することができた。←今ここ。
これでいつでも、M1/M2 Macをゲットできる。

ここまで来たのなら、Perl/cgiも稼働させたくなった。
昔なら「朝までMac」なのだが、この時間になるとだんだんと眠くなって集中力が落ちてくるのは老齢だからか。ちょっとリサーチして明日再開だ。

新米

福島に新米を取りに行ってから10日後にやっとその米を食べることができたので、今日は、中島家の庶民風新嘗祭である。10日かかったのは以前の米が残っていた、または飲んでばかりいて米を消費する機会が少なかったなどの理由がある。
しかし、密封されたビニール袋に入った10kgの千葉県産の米が残っているのはどうしようか。冷蔵庫に入れておいて、この60kgの新米がなくなる来年の梅雨時ぐらいに食べるとか。とすると、この10kgのは標準米と称されるとか。

こういう米って、良く噛んで味わってどうのこうのではなく、喰った瞬間に、美味い!と思う。
炊き方や水加減もあるのだろうか、米の香りと微妙な甘みがある。
米どころに住んでいる人達は、こういう米を当たり前のように食べていて、それが普通の米として体に染みついているのだろうね。すげー羨ましいと思う。
海岸沿いに住む人が当たり前のように食す魚料理もそうだけど。
こういう米で炒飯とかチキンライスを作るとなんかバチ当たりな感じだするけど、それは最初だけ。そのうち気にせず中華鍋返している自分がいると。
ただ、ダークホース的な粥が米の香りプンプンで美味過ぎる。

ついでに言えば、この新米のおかずとして、カミさんが伊勢丹で「大辛シャケ」を買ってきた。
一切れ750円なのだが、こんなしょっぱ過ぎるシャケなんて誰も買わないのだろう、売れ残っての特売で、二切れとシャケのペーストが一緒になって900円。
こんなの一人で一切れ喰ったら、エクスプレス泉下の客になってしまうので、一切れを三等分してそれぞれへ。
確かにしょっぱいのだけど伊勢丹で売っているモノなので、良い塩を使っているのだろう塩の甘みがあってなかなかグーッ。残り一切れも3等分にして後日、粥や茶漬けのお供へ。 

老人の食嗜好

籠もり風ゆえに、喰いモンか飼い猫の話題が多くなってしまうけど、織田信長の享年辺りから徐々に変化が現われ、還暦を過ぎてからは、NGがOKになってしまうことが多くなったのが食の嗜好である。
因に、OKが思いっきりNGになった場合は、胃ガンの疑いあり。似たような症状の友人が昔二人おったからだ。

昔から茶わんに盛った米は白に限る!で生きてきたので、こういう混ぜた和食飯は殆ど食べたことがなかったし、食べようとも思わなかった。グリンピースご飯とか栗ご飯、山菜ご飯等etc。
こういうので、まぁまぁえーんじゃない、と思うようになったのがまずは50才過ぎての栗ご飯とこの味付けご飯だ。←正式名称分からない、炊込みご飯とか言うのかな。
それまでお袋が作ってくれていた栗ご飯は、味のしないパサパサした栗だけが入っているだけで、何故にしてこれ美味いのかが全く理解できなかった。せめて天津甘栗を入れてくれた方が分かりやすいと思う。
グリーンピースご飯はファンの方もいると思うが、私にとっては2日以上ジャーに入れ放しにしてある米の臭いがして今でも論外だ。

カミさんが栗ご飯を炊く時に一緒に出し汁を加えてくれたおかげで、全体的に味や風味がプラスされ食べても大丈夫と思えるようになったのが50代過ぎてから。
しかしこのようなのを半世紀ちゃんと喰ったことないので、何と一緒に喰えば良いのか分からない。栗ご飯などもそうだが。
これにトンカツやコロッケ等のフライと一緒に食す、ってあり?餃子とか丸美屋麻婆豆腐でもあり?秋刀魚や鯵の開きと一緒であり?
結局、昔なら「江戸紫」、今は「ごはんですよ」と乗せて、焼いたシャケとタラコと一緒に食すも、それなら白米や粥でも良いじゃんになる。
これ専用のおかず(副食)が分からないから寂しい。それだけ老人向け健康食とも言えるのだが。
とは言え、これは夕食ではなく、その夕食で余ったのを独りブランチで食しているから、これはこれで美味いと思う。やはりこういうのは「江戸紫」が名バイブレーター、じゃなくって名バイプレイヤーでしょ。

本日はどこにも大義名分はないけど、鯛刺しで一杯やっている。
普通のスーパーで売っていた柵で500円のだけど、妙に美味そうに見えるのは、撮影者のウデでもなく、iPhone11のおかげである。でも、ちょっとテカリ過ぎかな。仕事じゃないから良いのだけど。

新調した遠近両用眼鏡

遠近両用眼鏡を新調した。
今までのは裸眼と同じくらいの近距離OKだったのだが、机で読書などをする時では細い文字が分からなくなってしまったからだ。「曖昧」の「昧」と「味」が見分けつかなくなってしもうた。
年は取りたくねーと思うなかれ、死ななければ老化は深化するので、それも生きている証と思えば気休めにもなると。

また、年をとると、文字を見るのにより明るい光量が必要になるのだ。
中国語検定や漢字検定などのここ埼玉県の会場って、商工会議所みたいな会議室で行われ(窓もある明るい蛍光灯下)、直近では昨年2021年6月の漢検2級だったが特に違和感なく既存の老眼鏡で問題なかった。
が、今年6月の準1級の時には、会場が大きなホテル内の披露宴会場とかになり、そこに机を並べて行われた。高い天井からのライトはシャンデリアを含めタングステンで披露宴時風に光量も70%ぐらいだった。

なんとか問題は読めても、書けねーんだ。
分からないで書けないのではなく、暗くて答案用紙が良く見えず望む場所にシャーペンが降りないのだ。例えば「用」を書く時に、3画目や4画目が上手く1画目の縦棒の上に降りない(ボケて見えない)。デカルーペ持参だけど、それを使って除いても頭が影になってより見えない。「拝」という漢字さえも記すのはいと難しきなり。
この時点で、もう落ちたと観念し、次回は、ライト付き老眼ルーペゴーグル持参でチャレンジしようかと思ったところだ。
止める、はねる、くっつかない、くっつくなどのうるさい漢検だけど、それは常用漢字内の2級までなのかもしれない、合格通知が届いた時には「あんな字でもOKなんだ」と協会に感謝したぐらいだ。

新調したのをかけてみれば、おおっ、「昧」と「味」の違いが分かるぞ。
が、距離が短くなった分、ちょっと遠いのが微妙になり、パソコンデスクに置いた仕事用のColorEdge/24inchとかだと見づらい。新調したのはあくまでも事務机の上での読書や学習専用の眼鏡となりそうだ。
ただ、来月日本語検定があるので、心強いパートナーができたことには間違いがない。
設問自体が分からないのではなく、その答えを書けないというのが情けないところがある。
言えば、試験会場にて「暗いから年寄りには見えないよ。もっと明るくしてくれ。」と言ったらどうなるのだろうか。
おそらく「老人にはより明るい場所が必要」というのが関係者スタッフ内では分からないと思うのは、みんなそれほど老人ではないからだ。
それはそれで仕方がないな、と納得できるところもあるが、この「老人」を「○×的な障害者」に置き換えてみると、やや社会問題として増幅しそうな気がしないでもない。
しかし、結局、分からない人には分からないよね、というところもあり、そこにおいて被不遇者がさも当然の権利のように一方通行的に騒ぎ立てるのもどうよ?と感じるところもある。