猫の足跡

猫の足跡

猫の足跡

 玄関に駐車場ができ、もう車を停めることができるのだが、外壁のペンキがまだなので元の月極駐車場とを行ったり来たりだ。その月極駐車場に車を置いて戻ってきてみれば、あれれ、猫の足跡が点々・・。
 猫パコは外には出さないので、隣近所の家が飼っている花ちゃんのだ。我が家も散歩コースに入っていたのか、それとも猫パコへのラブコールか。
 
 こういうのを何処かで見たことがある。
 有名な歩道に著名人の足跡とか手形が記念にレリーフしてあるとかだ。「我が家の玄関には猫の足跡がある」、メモリアルレリーフとしてなかなか良いかも。

アナログ写真用品

アナログ写真用品

アナログ写真用品

 ちょっと前に友達から煙草を貰って一本吸ったあとの事だと思う、なんと煙草を一箱買って3本吸ってしまったところで初めてそれに気付き、あれ、やばいじゃん、残りをどこかの友達にあげてまた明日から禁煙だと、思ったところで目が覚めた。
 薬チャンピックスの副作用の一つに「変な夢を見る」とあったが、なるほど、久しぶりに寝覚めの悪い朝だった。久しぶりの大掃除の日だ。
 
 家の階段の下に一帖ぐらいの写真倉庫があるのだが、年明け早々、仕事の準備でその扉を開けたら、桜島噴火の翌日の町並みのようなすべてが白っぽいほこりの薄化粧をしていた。
 昨年暮からの自宅リニューアル工事でのほこりなのだが、みんな吸い込みウエルカムしていたのは、湿気対策での倉庫内換気扇のスイッチをoffにしておくのを忘れていたからだ。
 スイッチをoffにしてドアの隙間に目張りしておけば良かったと後のカーニバル。だましだましちょこちょこ掃除して仕事に持ってゆくもさすがに間に合わなくなったので、倉庫と機材の再インストール風大掃除と相成る。

 何本もあるスタンドや三脚を開いて伸ばして拭いて拭いて。ドラム(電気コード)も真っ白なので30mバラして拭いて拭いて。
 すべて取り出して清掃していたら、忘れていたマニアックなモノがいろいろ出てきた。書籍整理とかならつい座り込んで読んでしまう、みたいな感じのモノ。
・【写真左上:ダリングスプレー】
 ヤカンや時計などの写り込みのある部分を消すためのスプレー。蝋の粉末と聞いたことがある。昔は舶来のだったけど90年代の最後には、堀内カラーブランドのHCLで販売していて、カメラマンならたいてい1本持っていた。当然デジタル&Photoshopになってからは殆ど使わなくなった。ムービーとかだとまだ現役かもしれない。

・【写真右上:写真スタンド】
 分かりづらいけど写真スタンドの上部。
 RDSとあるのは龍電社のロゴで、80年代ぐらいまでの写真業界において、国産の写真スタンド類はこの緑色の龍電社が席巻していた。もっとも同じ年代ぐらいからイタリアのマンフロット社のが幅を利かすようになってきたので席巻は言い過ぎかもしれない。還暦以降の人ならまさにこれで、私は1/3ぐらい。日本人感覚で「龍」は珍しいので社長が台湾人とかかな?

・【写真左下:sinar専用雲台】
 大判カメラsinar専用雲台。定価は十何万だと思ったけど、4×5をやめた友達から1万円ぐらいで昔譲ってもらったもの。ジナー1型に乗せる大判カメラはジナーだけなので最近までジナー1型に付けっぱなしにしていた。プレミアなんてつかないけど希少と言えば希少。

・【写真右下:フラッドランプ】
 こんなの何個持っていたのに改めて気付いた。4×5でインテリアを撮っている時に良く使っていたけど、現在、撮影以外でこんな300w(or 500w)の電球って日常生活上使い道皆無。クリップタイプのソケットは何かに使えそうだけど、特にアイデア浮かばず。
 さすがにこういうのは断捨離精神をもってしても捨てられず、元の大きなアルミケースに入れて倉庫の奥に戻すと。

 とにかく倉庫からとり出し、最後はすのこをも取り外したら、その下には分厚いカーペットのようにほこりが一面に敷き詰め状態となっていて、ACダイソンでやったら詰まってしまった。おお。アナログのほうきとちり取りで大物を片づけて細かいのを再びACダイソンで。

プカァ~、2ヶ月振りデス。

 中村教室という写真教室にて3ヶ月ごとに行われる合評会にゲスト講師として参加していて、場所は神田明神の裏なので、ちょうど娘が巫女さんバイトをしたので、正月の神田明神が楽屋ネタで盛り上がった。 

 同じくゲスト講師としてお呼ばれした写真学校、今はなき日本写真学園の同級生から「休憩に入ったから、ケンちゃん、上の階に行って一服行こうか」。
 「たばこやめたんだよ、今治療中なんだ。ごめんね」
 「へぇ、ガラじゃないことするんだねぇ。じゃ、禁煙記念に一本吸うかい」
 訳の分からない祝福をする同級生だこと。
 
 禁断症状もなくタバコ自体への依存もゼロになった状態の禁煙治療中の人が必ずや思うのは、あれだけの禁断症状とタバコ依存度満タンが全くなくなってしまった時に、今タバコを吸ってみたらどうなるのだろうか?という、悪魔の囁きかもしれない。
 しかしそんな状態になった、つまり禁煙できたという勘違い的な自信がそうさせ、実はそこから喫煙再開がままとしてある、と担当の女医さんが言っていたが、前回の禁煙の時もまさにそうだった。今回もその二の鉄を踏むのか。

 会合後のパーティ前に、一服ご相伴に預かった。
 もっとも運が良いのか、その同級生は私が吸っていたメビウス・ワンだったからで、そうでなければ全く欲しいとは思わなかったであろう。
 2ヶ月振りだから頭がクラクラし、そして、身体中の血液にニコチンが充満し、吸ったぁ、という充実感と解放感を得ることができた、と言いたかったのだけど、全然・・・まず、クラクラしないし、吸った実感も全くなく、拍子抜け一杯~。まだ薬(チャンピックス)を飲んでいるからだろう。この服用期間が今月下旬で終わるから、この効用等が完全に抜けた、例えば花見の季節の3月下旬辺り以降に吸うとまた違った感覚になるかもしれない。
 もっともそんなちょっとした試みをしても軽くクリアーできるぐらいでないとやはり禁煙なんぞはできないのだろうとも思うが、禁煙の動機が単に止めたいとかではなく、ぼったくり的な金額を払い続けるのは年金ぐらいで十分といういうところなので、こんなところで1本吸ったとしても喫煙再開にはならないところがある。

 3日で一箱という友達がいて、とても羨ましいと思った。理想じゃん。でも、節煙は仏教の解脱と同じくらい超難度な修業到達目標ではないかと今回禁煙治療をしながら感じた。
 もっともニコチン&タール摂取料で言えば、その3日で一箱がセブンスターとかになると、セブンスター1本が、メビウス・ワン10本と同じなので、マビウス・ワンを3日で1カートンとなって、ウルトラヘビースモーカーになる。

 その1本を吸った後も変わらずタバコへの依存再開意識はなかったので、単純にそういう経験を1回してみたかったというところで終わったようだ。その後変わらず禁煙状態が続くと。
 薬が切れた状態での再チャレンジ意識があるので、次回3ヶ月後の4月が一つの禁煙踏み絵デーになるのではないかと思っている。

こむら返り

猫パコ

猫パコ

「芍薬甘草湯」

「芍薬甘草湯」

 過日の「足がつる」というところで、いろいろなアドバイスを頂き、その特効薬的に勧められて注文した「芍薬甘草湯」が届いた。
 使用上の注意みたいなのを読むと結構細かくて、高血圧の人は要注意とか記してあって、高血圧の薬を飲んでいる私はOKなのか?
 1日の服用回数が2回とあるので、通風発作時に飲む薬と同様、元気が良い薬品に属するようだ。

 もともと「足がつる」というのがどうよう病気なのかが分からなかったので、ちょこっとウキペディアで調べてみたら「こむら返り」とも言うらしい。こむら返りは聞いたことがあったけど、このことだったのか、初めて知った。そのウキペディアに拠ると、はっきりした原因等は分からないところがあるようだが、私の場合、頻繁じゃないのでまだ病的でないようだ。
 対処法は、爪先立ちのまましゃがむなどがあるが、いずれも応急処置的なので、こむら返り自体、痛さと水泳中とかの溺れ等を除けばそれほど危険性のあるものではないようだ。でも、気持ちの悪い変な痛さだ。

 私の場合は、冬場が多くそれもより寒い状態で寝ている時、つまり猫に寝床を取られた時とかだ。
 芍薬甘草湯が届いた数日後、夜中にキターという前兆があって目が覚めた。案の定、猫はフトンの中央で寝ていて私の半分は床の上。だが、その時は軽度だったのか目覚めてちょっと足を動かしたら直ってしまった。そのままZzzz….と明け方まで。
 昨夜はとても寒くて、もしかしたらつるかも・・と思って寝所に入った。
 あまりにも寒かったので羽毛布団の足下辺りに一枚毛布をかけてしまった。が、極寒地じゃない限り通常地域での冬場では羽毛布団一枚で十分であることを忘れてしまっていた。
 明け方寒さで目覚めたら布団を蹴飛ばした横の床の上で寝ていて、布団の上には猫もいなかった。ブルブルブル~ッの寒さでトイレに行ったら、すげー寒い階段の窓に猫パコがいた。寒さに強いんだね、猫は。
 せっかく、こむら返りの特効薬を購入したのに、こういう時に限ってその痙攣発作が起きないのはマーフィーの法則風で困ったもんだ・・。

『ひとりぼっちを笑うな』

『ひとりぼっちを笑うな』

『ひとりぼっちを笑うな』

 ローカル路線バスマイブームはまだ続いていて、太川くんの次は蛭子さん。
 youtubeを見ていたら本を出したというのでチェックしたら、『ひとりぼっちを笑うな』というエッセイ集が角川新書から出ていた。
 著名人のエッセイ集等は、写真家のアラキさんのや矢沢えーちゃんの『成り上がり』以外、殆ど読んだことがないのだが、およそエッセイ集などは出さないであろう風の蛭子さん著なので特別に興味を持った。
 
 今週末、センター試験があり、娘が一年前にチャレンジしたのが懐かしく思うが、その娘は塾へは行かず、高校の補習講座以外はずっと図書館を利用していた。いくら静かとは言え、四面楚歌的まわりは知らない人たちばかりでぎゃくに落ち着かないのではという私に、家だと逆に静か過ぎて落ち着かないと言っていた娘を不思議に思っていた。
 そこにこの本での蛭子さんは、孤独の良さの一つに競艇場を述べていた。
 一つの目的を持った人たちが集まり、その群れの中に自分が入ってはいるが、それぞれの人たちとのコミュニケーション等の連携は全くない。そんな群れの中の孤独感が良いと蛭子さんは言っていて、あ、娘の図書館と同じ感覚かも、と思った。私には無理だけど。
 ただ、娘の大学には新入生向けの年刊キャンパスライフ情報雑誌があって、そこにはやたら「この授業を取れば、ぼっちにはならない」とか「ここの学食にはぼっち席が多い」とか、独りぼっちへの懸念に関する情報を散見したので、今の若い人たちの中では、友達も少ない孤独ライフを良しとしない傾向にあるのかもしれないと思った。
 もっともその孤独の良さをとうとうと語ってはいるが、奥さんが亡くなって初めて知る孤独に耐えられず、数年後かにすぐ再婚し、今は幸せに生きている云々と書かれていて、他の著者だったら矛盾として必要以上に突っ込まれたと思うのだが、蛭子さんのキャラなのだろう、「この本を読んで心が軽くなりました」などの反響があったりして、なるほどねぇ、と妙に納得したりする。

 奥付に「取材構成」という項目にて3名の名前が列記してあったので、主に編集はインタビュー形式で、それをライターが蛭子さん風のタッチにリライトし、それを当人がチェックして校了した観がするけど、別にそれも気にもならない昨今の出版事情かもしれない。
 アマゾン中古で送料込みの350円なら良いと思うが定価800円だと、うむむむむ・・。