私学会館

 結婚式を挙げた私学会館(現、市ケ谷アルカディア)へ、挙式以来24年振りに行った。
 内堀りと靖国通りに挟まれ、その先は法政大学がある狭いところに立ち並ぶビル群に混じっているので、椿山荘や雅叙園、プリンスホテル等に比べたら思いっきり見劣りバツグンな会館だが、自分にとってどことなく身分相応風のフィット感があり、そのこじんまり感も可愛くて、ちょっと心の中でお気に入りだ。その割には利用していないけど。
 思い出せば、2年前に私学会館のをアップしていた。
 http://www.accitano.com/blog/?p=3510

 今回は、佛教大学の仲間が亡くなってしまい、そのお別れの会への出席だ。乳がんから発していろいろあって、最後は心不全にて享年67歳。
 24年前カミさんはウエディングドレスを着て、私は紳士服のサムで買ったかのような黒スーツで挙式した記憶のあるフロアーがその会場だった。懐かしい。
 葬式は身内で済ませ、改めて後日「お別れ会」というもので私は始めてだ。
 告別式みたいな椅子配置だけど、坊さんとかはおらず知人友人達がいろいろ思い出を語り、その後、椅子を片づけての立食会食。
 本体はないけどそんな感じの祭壇があり、各自献花をして着席するのだがその写真を見て、あれっと思った。毎月大正大学で行われる学習会にて私がスナップした2年前の夏の写真だった。自分が撮った写真が遺影になっているのを見るのは、嬉しいのだけど、よりその人への思い強く心に定着し、不本意不必要不覚にも目頭が熱くなるところがある。泣く男はみっともないと思うのは昭和の感覚なのだろう。

 1時間ぐらい彼女の友人知人の話を聞いているのはなかなか良いもんだ。
 告別式(通夜)とかだとそうはいかないだろう。翌日の焼く準備や、香典の金額チェック等忙しく、ゆっくり家族などと話をする時間がない。あるとすれば、かなりの田舎地方か昭和の時代でのことと思う。ただ、この「良いもんだ」には条件があると思う。過日、傘寿を超えた叔父と台湾の飲んでいた時、「ケン坊、長生きするのは良いけど、その葬式は寂しいぞ。みーんな先に死んでいるのが多いからねぇ、88歳の伯父がそうだったでしょ。オレん時も少ないだろうな、ま、ケン坊来てくれよな~」、「じゃ、その時の為に呼んで欲しい人のリストを死ぬ前に教えておいてよ」。
 もっとも、箱に入っている当人にはどうでも良いことなんだけど、そういう意味では、早くゆく負をかなりフォローしているような気がしないでもない。

 最後に彼女と会ったのは、今年の初春で、いつもの大正大学の学習会にて話をしたり一緒に電車に乗って帰っていたこともあって、その月に、文教大学後輩のシマダから連絡があって緩和ケアにいます、と。
 こんだけ身近な歳も近い人がいってしまうと、なーんだ、ちょっと先に行っただけじゃん。追々後からすぐゆくよ、みたいな感覚になってくるのが不思議で、それは老いへの覚えその一なのかもしれない。還暦過ぎたら生きていられても20年から30年だ。10歳から30歳までの20年間は、それは人生で一番激動で輝かしい期間だけど、還暦後の20年ってそれに類するような大きなイベントがあると思えない、あっと言う間だ。そんな時、ちょっと先に行った友達に、自分の末への覚えをやはり一つ教えてもらったような気がする。

 翌日、学習会があるので大正大学へ行った。
 いつもの部屋には、2年前に彼女を撮った時と同じようにいつものように机等が配置されていた。

Leave a Comment


NOTE - You can use these HTML tags and attributes:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

*