1963年

市ケ谷駅周辺 先日、叔父と台湾に行った時に「ケン坊、写真が出てきたからやるよ~」。昨年暮に亡くなった伯父の遺品から出てきたそうだ。サイズは90×95mmの大名刺サイズというやつだ。もちろんバライタのフェロだ。
 もちろん持っている写真だけど、昔過ぎるアルバムはお仕入れの奥の奥にしまいまくってあるので25年振りぐらいの再会である。

 この写真は、その叔父の結婚式の時で場所は市ケ谷の私学会館。
 乾杯の前、いろいろな主賓が長々と喋っているところで、私は大声で「美味しい料理がたくさんあるのに、なんでみんな食べないの?早く食べようよ」と言った、というのを親戚が集まると昔話にてよく言われるのだが、何故かこのフレーズだけはどうでも良いことなのに今でも覚えている。
 また伯父の戦友の三笑亭夢楽師匠が出席していて、子供ながらにうるさかったのだろうね、ボッキ〜少年ならずボッキ〜小僧だったのだろう、隣に座ってSLの絵を描いてくれたのを覚えているのだが、その絵が手元にないのが今となってはとても悔やまれるところでもある。

 写真右後ろが30歳ぐらいの親父で、私の右側は父方の祖父だ。私は「ばっぱ」と呼んでいて、田舎の福島県白河に行くといつも小さなフライパンで目玉焼きを作ってくれた。よって、今でも形見風に18cmのフライパンは我が家のデフォルトフライパンでもある。
 当時の私は幼稚園生だったので、東京オリンピックちょっと前の昭和37年の1962年ぐらいの5歳だ。

 そんなどーでも良い人物よりも、背景が凄い。
 飯田橋方面の土手がまだ未舗装だ。おまけに写真左下を走る中央線か総武線は、いわゆるチョコレート電車である。ということは電化されていた訳だ。もっとも電化されていない京浜東北線は知らないけど。
 その電車の後ろは今は釣り堀になっているけど、当時はまだ開業していなかったようだ。その後ろの内堀通りも基本は変わっていない。改めて見ると、歴史を記す写真って凄い。

 この時、上京してきた「ばっぱ」と一緒にはとバスに乗って東京見物をした記憶がある。
 東京タワーに上って、まだ勝鬨橋が開いた頃の水上バスに乗ったりと・・。時に昔の写真を見るのも良いかもね。
 その30年後に同じ市ケ谷の私学会館で私は式を挙げた。

  1. 私学会館 | ¡Bienvenido a Accitano Blog! - pingback on 2016/10/30 at 21:59

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