Monthly Archives: 7月 2017

簡易安易本棚

段ボール本棚

 一通りミシン入門作業も終わったので、床に積み重なっていた本などを整理する為に、簡易本箱を作った。と言おうか、前から都合の良いアマゾンやヨドバシの段ボールが届くとそれを積み重ねていただけの話。
 最近はこれだけでは足りず、スーパーで段ボールを貰ってくる。買い物袋環境削減云々で、食品などが入っていた段ボールが山積みになっているので、サイズを確認して貰ってくることもある。
 
 本を沢山読んでいるよ、なんていう気持ちなんて毛頭なく、当然全然読んでいない。
 単に本のサイズがあまりにもバラバラなので既存の本棚にも並ばなくなってしまったというところからだ。ちゃんとした本棚は3つぐらいあるのだが、こちらは上手く納まってしまっているのでもう入らない。
 まとまったらちゃんとした本棚を買ってとかもあるだろうけど、埋まるまでは段ボールの積み重ねだ。震度2まではOK。震度3だと上辺りが落ちるかも。左右にロープを張るのも良いアイデアかもしれない。本のサイズは、JIS規格にて5種類ぐらいの統一して欲しいと思う今日この頃だ。

 そういう意味では文庫本が大きさのサイズから言って一番扱いやすい。どうにでもなるって感じ。過日読んだ川端先生の『雪国』があったので引き続き『伊豆の踊り子』も読んだ。当然文庫本。短編なのだね。川端先生の作品ってたいてい短編なのかな。短編長編の優劣感はないけど。
 『伊豆の踊り子』の方がストレートに読むことができた。
 というのは、普通は晴れた天気の良い日を背景にするのだが、これはどっから見ても不都合風な悪天候の雨を背景にしているのだが、それにリアリティがありその描写も上手い。文字間からにじみ出てくるようなその不快的な湿気が私の知らぬ大正風情に引き込んで少し共有させてくれる。
 確か、これ映画化されたようで、知るところでは同じ歳の百恵ちゃんが薫役で出ていた記憶があるが、こんな薄っぺらい短編をどうやったら2時間ぐらいの映画に膨らませることができるのだろうか、というのが読後の印象。別に映画はオリジナルに忠実になる必要はないところからいろいろ脚色して膨らませているのだろう。残念ながらオリジナルを読んだ後に映画を見るのはやや白けるところがある。映画を見てオリジナルを読むのが精神衛生上宜しい、かもと最近思うところである。

黒猫ソーイング

黒猫の布

 ミシンの超入門独学コースは終わった感じで、カメラで言えば、撮りたいモノにピントと露出を合わせてシャッターを押したのをパソコンに移行して、モニター上にてピンボケ、ブレなどがなく無事見られることができた、というレベル。
 最後は、ティッシュのカバーを作成。リビング等のは家人に聞くまでもなく「要らねぇよ」なので、仕方なく練習の為に自分の部屋に置いてあるのだけを作った。

 他ので言えば、ポシェットとかポーチ(これらの違いが分からない)などがあるけど、取り敢えず今は必要性がない。必要性がないモノを作る気力はない。作ったとしても誰かにあげるしかない。家人とかだと家族喧嘩になり知人友人にあげると友達を減らすだけなのでやめた。
 超初心者でも、少し覚えてくると、ミシン裁縫コーナーも見ていて楽しくなってくるのだが、気が付くと黒猫もようの布を買っていた。大きなモノを作る予定がないのに、こんなの買ってどうするのだろうか。
 以前飼っていた2匹の猫は茶虎と白のブチだったので猫全般に目が行ったのだが、黒猫になると特徴が黒でしかなくなるので、黒猫しか目が行かなくなる。黒猫の首輪はやっぱ赤だよ。でもイラストがデカいから、こんなのでポシェットを作ったりしたら黒猫のケツしかない、もありうる。本当の衝動買いだ。
 かみさんに椅子の背もたれカバーなんてどうかなぁ・・・月の石を見るような目をしていた。しかし、カミさんもハマっているリサ・ラーソンのネコの布を何気に買っていた。おまけにリサ・ラーソンの裁縫箱も買っていた。おおっ。

「青雲」

 自室にいる時には良く線香を焚いている。
 特に宗教的なところからではなく、と言おうか一応は浄土宗徒なんだけど、ま、気分的なところから。1本じゃ長いから半分に折ったやつを。線香1本ってだいたい150mmぐらいあって昔なら5寸だけど何か意味あるのだろうか。
 なくなったので買いに行くも線香って何処で売っているのか分からなかった。仏壇屋かな、そんなの近所にないが、100円ショップで売っていた。
 何種類かあって、普通の緑色、紫茶色、煙の出ない、匂いの少ないのとかいろいろ。保守的なので国産と記された普通の緑色のを買ってきたが、これが香りもしないし匂いもしない。こんなの線香として意味あるのだろうか。

 ホームセンターに行ったらちょうどお盆コーナーがあり、見慣れて使い慣れた日本香堂の「青雲」があった。
 値段は860円、100円ショップのと量が違っているので、量を合わせてみれば「青雲」は400円ぐらい。
 「青雲」を焚いてみれば、やはりあの香りがし、また消えても香りが残り続けるしぶとさがあって、まさしく線香だ。
 気付かなかったけど、ちゃんとした線香って意外と高いもんだ。

同じ飲み屋で

 SNSのお友達AとBがそれぞれ飲んでいる写真をアップしていた。
 AとBは直接のお友達ではない。しかし、飲み屋が同じで、時間帯もほぼ同じ。座席からすると少し離れてはいたけど、すげー偶然。
 いいな、飲んでいて、と思いながら、本人たちの知らない偶然にちょっとほのぼのとした。

『雪国』

『雪国』

 「島村の指が覚えている」のフレーズを時々借用させていただいているので、ちょっくら読み直してみようかと思ったのが川端康成の『雪国』。
 やることのない夜も酒が飲めぬ昨今、あれやこれや縫いまくったミシンには随分と助けられているけど、そのネタも尽きかけてくれば、本でも読むか。台湾で買ってきた本や『台湾文化志』なども読んではいるけれど、さすがに外国語や旧仮名遣いばかりのを読むのは疲れてきた。
 
 最初に読んだのは高校1年生ぐらいだったけど、覚えているのは最初の数ページ、トンネルを抜けてから湯沢温泉駅に降りるまで。後は印象もなく内容も覚えていないので読んだうちには入らないだろう。「指が覚えている」だから、アレしかないと思うも、そんなシーンってあったっけ?だ。意外と文量少なく短編の部類に入るかもしれず、ヘミングウェイの『老人と海』、松本清張の『点と線』ぐらい。
 
 駒子と島村の戯れを通した湯沢界隈の情景描写の美しさに感動。写実的な表現で主観的な谷崎潤一郎のとは一線を画している。
 心理推移は駒子の対話で理解することができる反面、島村のは言葉少なく、その分、情景描写が代弁しているので、喋らない主人公としてのドラクエやミスター・ビーンなどを彷彿させてくれた。
 ストーリー、全くないデス。
 中途半端なところで終わっていて、思わず『雪国(下)』があるのかと思ってしまったほどの起承転で、「結」がない・・え、こういうのが文学。大作品なんだけど、どこかしら消化不良だ。調子ぶっこいて『伊豆の踊り子』も注文してしまったのがやや後のカーニバルだ。
 
 結局、島村の指は何を覚えていたのだろうか。駒子の手だったら怒るで~。

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