Monthly Archives: 11月 2010

今宵のお供

 何をトチ狂ったのかカミさんが近所のフィットネスクラブンの会員になった。
 月8,000円でいつでも何時間でもOKというリーズナブル価格だけど、娘と二人で「いつ終わるか賭けようか」。
 娘は、三日坊主風の12月中、私はチョロチョロフェードアウトの来年1月中。

 テレビ放映付きモニターのランニングマシーンを主にやっているみたいだが「足腰よりも腹をなんとかしろ、腹筋だよフッキン~!」
 「腹筋は怖くてできない・・・」
 ちょうど結婚式辺りのスキャンをしていたので、
 「ちょっと来てみぃ、見なよ、これ。どう見たって2倍はあるだろっ」
 「そんなにないわよ~!!せいぜい、1.5倍よ、プンプン」
 娘は「うわぁ~、かーちゃん、すげー痩せていた・・」
 私がプンプンしたい。特に最近は「慢性妊娠状態」で、思わず腹を叩いて「6ヶ月っすか?」と言いたくなる。
 万が一の離婚訴訟時に不利になるかもしれないので明言を避けるが、もしかしたら私の方が軽いかもシレナイ。

 カミさんから電話があったので「もう遅いから酒モードだよ、なんか買ってきて~、日本酒用のがいいな」。
 で、買ってきたのがブリの刺し身480円、ええええ!!!貧困我が家には贅沢過ぎるぞ!と思ったら、シールがペタペタ~。「100円引き」の上に再び「表示価格の半額」・・・240円っすかぁ、これはお得。
 フィットネスクラブに行くのなら8時過ぎぐらいまでやって、その後スーパーへ買い物に行くのが、ボッキ~中島家ではナイスかも。

 あれ?ブリって天然の呼称じゃないのか?養殖がハマチ・・表示ラベルには「養殖ブリ」・・私の記憶が曖昧なのだろうか。でも、美味い!
 ブリ(ハマチ)って、カツオやマグロの赤身と、鯛やヒラメの白身の中間的で、その両方の良いところを持っていたりしてなかなかええですなぁ。

 もう一つは漬物。
 マルイ漬物から取り寄せてあれこれややっていた時は美味かったけど、だんだんと酸味が強くなって、うーむ。
 あちらこちらのベテランから情報を得て、塩でもんで漬ける、昆布や酒を入れ、水分を取りながら糠を加えてなどetc、あれやこれややっていたら少し戻って香りが復活した。
 大根も美味いのだけど、私の頭の中では、大根の漬物→タクアンだから、タクアンの味がしないとなんだこれ?的なトラウマがある。最近し慣れたけど。
 キャベツの漬物は美味い。
 漬ける時間はカブの1/3ぐらいだけど、漬物ベスト3があるのなら、1位はカブで2位と3位はキャベツ、またはナスだと思う。
 4位にキュウリが来て5位はそれぞれ・・。大穴ダークホースで言えばニンジンがあるのだが、このニンジンが結構難しい。

ネガのノッチ

 80年代、ネガフィルムを現像に出すと添付画像のようになっているのが多い。
 さて今のネガと何処が違うのだろうか?

 各スリーブ(エプソンではストリップと呼称していた)の両側上下に黒いビニールテープが貼ってある。
 これな何の為なのだろうか?
 おそらくこれによって自現機でのプリントの通りを良くするためかなぁ、それともプリントが終わるまでテープで留めてあって他のと混ざらないようにしているためとか?
 一つ一つスタッグが付けて行くのか、とっても大変な作業だと思う。

 パーフォレーションの上下にあるノッチは、確か同時プリントしたカット、という意味で、現のみにで出すと、このノッチがなかった記憶がある。
 プリンターマンがモニターを見てプリントするかしないかを決め「プリントする」とかいうボタンを押すとノッチが入るのかも。

 今は機械のシステムが変わったからかこういうのはなくなったように見受けられる。
 基本はデジタル自現機でネガカラーフィルムもできるよ、ということになったかかもしれない。

北海道の旅(後編):そして東京

 その屈斜路湖YHのサブペアレント、なんで「13バイ」というかと言うと、より若い時、飯を13杯もおかわりしたところから命名らしい・・なるほど。
 私だってYHの飯は10杯までだった。

 つまり、わが家が嫌い、というのではなく、旅に出たら食費をけづってまでも長くそこにいたい、というのが変な時期に旅をしている人たちの共通項だった。
 朝飯にガツガツ詰め込んで昼を抜いて夜の夕飯にまたガツガツ・・と言いながら夜の酒には糸目がないところに矛盾があるのが当時の私たち若者感覚。

 その13バイから1979年の3月頃、珍しく6000円四畳半アパートに電話があった。もちろん大家さん経由の呼び出し。
 「ケン坊、元気?近々屈斜路に来ることない?」
 「うーん、時間はあるけど金ないから夏辺りに行くのはどお?」
 「いや、そーじゃなくってもっと早く来られない?」
 「え、どういう意味?」
 「ここのサブヘルパーやめて上京して就職しようと思うんだ」
 「あ、いいんじゃないですか!で、それと私が北海道に行くのとどういう関係が?」
 「いや、車で来てくれると荷物も一緒に運べてさー」
 「わおー、車ででっすかぁ?!」
 「往復のガソリン代払うからどお?」
 「青函(野辺地からだけど)も含まれますよねー」
 「OK~OK~、宜しく。来月のGW辺りだと嬉しい」
 「へい、がってん~・・GW終わってから行きマスでしゅ~」

 今思うと、この会話には高速代には言及されていないのだよね。
 っつーか、高速ってお金持ちの「大人」が乗るものと思っていたから、当時は気にならず、ひたすら4号線北上~。

 平成のスコスコマン、大久保清と同じマツダのファミリで越谷蒲生を夜中の1時に出発。
 さすがに明け方の仙台周辺は通勤ラッシュだったのでここだけ高速に乗った。
 岩手県って静岡県と同じ広いんだねぇ、アクセル踏んでも踏んでも岩手県だった。
 5月下旬なんて誰も宿泊客なんていないから噂を聞きつけた常連が数人集まる。何故か関西系が多かった。情が厚いのかねぇ。

 最終夜がみんなベロベロに飲みまくって、明け方まで元気だったのは私とヘルパーの兵庫県出身の愛称ブーちゃん。
 「最後だから湖畔に行って日の出と一緒に写真でも撮ろうか」
 「ねぇねぇ、どうせなら恋人っぽく撮ろうよ」
 もちろん何も期待する行為はなく、そう思わせるようなカットが撮れただけ。

 屈斜路湖YHの隣にはもともとのペアレント(オーナー)が経営する屈斜路湖ホテルがあり、温泉が無限に出ている。
 そこの温泉ホースでマイカー、マツダファミリアをピカピカに洗車して出発したのに函館に着いたら、真っ白な車に様変わり。
 荷物が少ない、と言っていたけど、車に積めばそれなりにかさばり、後部座席は荷物で埋まり仮眠的リクライニングができない。ルーフには「13バイ、こんなの捨てなよ、東京で売っているよ!」というようなファンシーボックスも積んであって、どっからみても夜逃げモードだ。

 金がない、と言っていたのに「ケン坊、どうせなら奥入瀬に寄ってこうよ」。
 渓流は低速シャッターで撮ると良い、なんてカメラ雑誌に記されていたので三脚でその通りにしたら人物がブレていた。うーん。

 そのまま我が蒲生御殿(四畳半アパート)に2週間ぐらい共同生活をしながら13バイは就活し、中堅旅行会社に就職が決まり、新たにアパートを探したのが、近くの竹の塚。
 その後社内恋愛でマスオさん風に横浜に転居。
 今は年賀状の挨拶ぐらいで関係が続いている。 

北海道の旅(前編):英会話

 国内で一番良く行った場所と言えば、やはり北海道の屈斜路湖&道東。
 相変わらずのスキャンをしていたら懐かしいネガのカットが出てきた。オヤジの小言ならず懐古話・・かも。30年前だからねぇ。

 文教大学に入りクラブも旅研究会に入部し、あっと気付けばオリエンテーションがやっと終わったGW前。
 なんとなく暇そうな大学のカリキュラムだったのでフラっとGWに北海道へ行った。
 データを見れば、1977.4.27-5.9、のんびり2週間の旅だ。

 まいどの屈斜路湖ユースホステル(以下、YH)に着いてみれば、春先の気候でポカポカしていた。
 ユースホステルはドイツのリヒリアルト・シルマンが、気軽に旅ができるように合理的かつ健全、そして廉価な宿泊施設を作ろうと提唱して始まったもので、通常の民宿価格の2~3割安。
 経営形態は幾つかあるが、その代表者(経営者)はペアレントと呼ばれ、その代表者が他の仕事で忙しい場合は、今で言う雇われマスターのサブペアレントというのがあった。
 屈斜路湖YHは、サブペアレントで、通称「13バイ」。

 春の訪れに先立ち、YHの周辺に白樺がやたら乱立していて「ケン坊~、白樺でベンチ作るから手伝ってよ~。ギャラは今夜の酒ね」。
 「あいよ~、どの辺の白樺を切るの?」
 「この辺は景観が損なわれるからそこの国道の向こう側の山林にあるのを適当に切って持ってきてよ」
 「・・・え、道道(北海道の県道)の向こう側・・・?!」
 屈斜路湖YHって自然の中の湖畔にポツンと立っているから自然が最優先、つまりクマが出る可能性大。
 「クマ、いない?」
 「先々週出たから、今は大丈夫だよ」
 「え、先々週出たって、今はヤバいじゃない?」
 「大丈夫だよ、クマだって分かっているから、当分この辺には出ないよ」
 でも、怖いよね北海道は。一人で山林風なところで大きなのこぎり持ってギーコギーコ。常に道道に背中を向け目線は山林へ、そしていつでも異音がしたら逃げ出せるようにしてギーコギーコ」。

 YHの玄関広場にベンチを作るのでスコップで土を掘る。
 数センチ掘ったところでスコップが入らない。凍土のようにまだ土が凍っている。
 「白樺ってそれほど保たないから適当に作って土の上に置く感じで良いよ」

 北海道に来ると広大な土地に包まれるので時間もゆったりだ・・というと聞こえが良いが、つまり東京風に言うと、ダラダラやっている訳だ。
 飽きてしまうとギターを取り出してきて、友達の教えてもらったフォークソング、陽水、拓郎、などをかき鳴らし「さよならがぁ、言えなくて~♪」

 リヒアルト・シルマン提唱のYHは禁酒なのに、何故か毎日トリスを飲んでいたけど、さすがに2週間ずっと屈斜路湖YHホステルでボランティアヘルパーをしていたらアホなので10日強で辞した。
 残りの日数を寄り道しながら帰宅しようという計画。網走~能取湖~サロマ湖~旭川~札幌・・・。

 明日は函館→青森まで行って八甲田に乗り、あとは一路東京、いや埼玉へという札幌のYHに止まったら同宿の相方はガイジンだった。
 近年、在日本の中国人に「ガイジンは差別用語だ」と言われた。
 言われればガイジン=欧米人になるけど、ま、その外国人に日本語についてとやかく言われたくはないやね。

 外国語と言えば英語しか習ったことのない大学1年生になったばかりのボッキ~中島青年。
 YHの食事は早いので後は部屋に戻ると、GFRのドン・ブリューワーのような巨体の水牛ガイジンが目の前にいるだけだ。
 若かったので、日本にいるのなら日本語で話すべきだ、という概念が出なかったなぁ。デフォルトのように英語を駆使して話す。
 つまり高校3年まで習った語学力で話すのだが、あれま、思いの外通じるじゃん。

 以前にも記したけど、幾つぐらいでカップルはセックスをするかとか、どこでセックスするの、とか・・世界共通語はやはり下ネタだよ。
 っつーか、この水牛ガイジン、聞いたことのないアメリカの州の学校の先生で春休みで日本にきた、とのこと。シーガルとかいう名前だったか。

 気付けば夜の1時ぐらいまで話していた。
 帰路の青函と八甲田で思い返してみれば、通常のちょっとした会話の文法って中学の英語で十分じゃないか。
 そして微妙なニュアンスも高校で習うのでOK。
 なんだかんだ、言われながらも、英語の基本って中学と高校の英語の教科書にあったんじゃないか、家路に向かう八甲田内にて真面目に思いながらトリスを飲んでいた20歳のボッキ~中島青年。

 大学に戻り、英会話の授業でその話をしたけど授業は1時間半で、当然私だけの授業じゃないので十二分にそれが伝わらなかった。
 その無念が伝わったのか、その先生、私のバイト先にその先生が訪ねてきてくれた。不幸にも私は不在だったので、慌てて先生の教授室へ行き礼を述べ、先のことを少し説明して・・つまり英語の面白さを青年なりに伝えたかったのだろうボッキ~中島青年。

スリーブ

 写真の業界用語風に現像したフィルムを任意の枚数ごとにカットしたモノ。
 ネガカラーフィルムのネガみたいなもの。任意とは言ってもたいてい6カット。

 写真、そして今のような135のロールフィルムができた時に「よし、36枚撮りにしよう」と明確に決まった訳ではなく、トイレットペーパーのようなフィルムを両手一杯に伸ばした長さがちょうど36カットに近かったから、というのを聞いたことがある。
 民族質によって両手一杯も違うと思うけど、フィルムの発祥からのフランス人、イギリス人、アメリカ人あたりからの長さのようだ。
 また、36という数字は約数が多いところからかもしれない。

 で、私が気付いた時には6コマごとのスリーブになっていた。
 6コマだと長さで言うと230mmぐらいでフィルムの形状からいうとやや保存収納からすると長すぎる、そこで「5コマスリーブにしよう」という運動?がかつて80年代の前半から半ばまで日本であった。
 ポジはマウントする方法があるので、主にネガ保存だったけど、5カットにしても保存が面倒だし既存の6カットとどう同居させるのかがポイントとなって80年代後半にはすたれてしまい暗黙的に6カットを継承。

 その頃のネガをスキャンしていたら数本5カットスリーブがあって、妙に懐かしかった。

 そのネガスキャンだけど、紙マウントとかでないスリーブなのでゴミがたくさん付着していてもエタノールでふき取ればそれなりに除去でき、あとはPhotoshopで、とポジほど大変ではない。

 どのネガを見てもオレンジベースのフィルムだから私のような素人からすれば「どれも一緒!」と思うも、やはり色素は退色するのだろう、カットによっては「なんでこんな色?」というのがある。
 それでも同じ年数経過でもポジよりネガの方が元気が良いようである。

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